MIDORI.so Newsletter:
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![[COLUMN] #209 MIDORI.soのいろ](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/e0c31a8da46488dcd57440f3e4305289f40c6f19-6048x4024.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
緑が好きだ。植物の緑も、錆びついた緑も、染め上げられた緑も、ぜんぶ好きだ。緑色のソーダ瓶に一輪の花を挿し、苔のような緑色の釉薬が塗られた焼き物で水を呑む。朝起きて一番に見るカーテンも、履くズボンも、かばんも、僕の日常にはあちこちに緑がある。何が僕を緑好きにしたのだろう。森のように広く感じていた幼稚園の庭で、心ゆくまで遊び、作り、駆け回った思い出。淡々と山を登り続けた、いままでの記憶。 それほどに緑が好きだから、やはりMIDORI.so Nakameguroの蔦の這う外観は印象深かった。雑誌で目にしたのをきっかけに訪れた、自分にとってもはじめてのMIDORI.soだ。 それから程なくして、MIRAI INSTITUTEに連絡を取った。MIDORI.soで「働く」を考えたいという願いが汲み取られ、幸運にも学生インターンとして採用してもらうことになった。もうすぐ5か月ほどになる。仕事柄、永田町にいることが多い。永田町の2階のエンゲージメントスペースの運営業務をしているからだ。
![[COLUMN] #208 夜に勤める](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/23ab364e91a10b69b5767d273803110c52de13a3-5591x3720.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
天使は言葉を伝えるために、自らを透明にしているという。 文法も、きっと同じだと思う。 僕たちは新しい言語を学ぶとき、まずは文法を覚え、規則に従って言葉を並べる。
![[COLUMN] #207 比べること](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/27a18bb88d613c71dba4206c53a150cfd0a64528-5582x3781.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
私はついつい自分と他人を比較してしまいます。SNS全盛の昨今、際限のない比較は不健康だと言われることが多く、完全に同意します。しかし同時に、比較は成長の原動力にもなると私は考えています。そのちょうど良いところ、つまり比較との健康的な付き合い方はどのようなものなのか。これが最近の私の考えごとです。 突然ですが、私の趣味はランニングです。面倒くさいと思うときもありますが、基本的に楽しいです。毎月100kmを走ることにしています。ところが最近、その満足感は向上心に欠けているのではないか?と感じることがありました。それは何気なく見たYouTubeのある動画がきっかけでした。その動画では、元投資銀行勤務のストイックの権化みたいな人のルーティンが紹介されていたのですが、その内容に度肝を抜かれたのです。その人のことをMr.ストイックと呼ぶことにしよう。 Mr.ストイック「毎朝25km走っています」
![[COLUMN] #206 まだない目的地へ、漂うように進む](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/8ec30fb2ab53832c007362c8a3def619e562d2da-5927x3943.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
この春から大学院に通っている。すると「なぜ行くことにしたの?」と聞かれるけれど、まだうまく話せた試しがない。 研究というのは航海のようだ。大海原に漕ぎ出しても、たどり着くのは小さなまちの漁港。新しい知見といっても、先人が積み上げてきた学問の上にそっと添えられる小さな点にすぎない。 それなのになぜ研究したいのだろうか。何を追求したいのだろうか。研究で社会を変えられるのだろうか、その手段はビジネスでなくていいのか。私が研究をしたところで何ができるのだろうか。
![[COLUMN] #205 狂気と正気の交差点](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/cdcc13aab303ffd6c2fedb5914ab1efcf6732df4-5535x3683.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
ある日のこと、茨城に住む友人から「でっかい舞台つくらない?」と連絡をもらった。 茨城の西塩子という地域では、3年に1度、竹や木を切り出して大きな舞台を作り、1日限りの歌舞伎を上演、終わったら潔く更地に戻すという伝統があるらしい。現存する日本最古の「組立式農村歌舞伎舞台」という文化財だ。 1日のためにでっかい舞台を作って壊すなんて正気じゃない!面白そう!と飛びつき、数日間作業を手伝わせてもらうこととなった。
![[COLUMN] #204 齢三十一。生まれてこの方、ずっと反抗期](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/43ad2c5b7e3f9f9e9c5b22ef5296ec834933b414-2240x1490.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
両親はとても善良な市民で、まちがっても毒親と呼ばれる類の人たちではない。何かがおかしいのは私のほうかもな、とようやく思いはじめたのはここ数年の話。 ずっと親の言うことを聞かなかった。彼らも、我が子が自分たちの言葉を受け入れることはないのだと、早々に諦めていたように思う。 ただ、私自身も年齢を重ねて、思うところがないわけではない、という心境にはなってきた。 会うたびになんだか小さくなったように見える両親に対し、昔のように横暴な態度をとるのも少し心が痛む。 そんな少しだけオトナになった私ができうる限りの親孝行として選んだことがある。 それは「母が作ったものを身に着ける」ということ。
![[COLUMN] #203 The Scent of Dashi in Milan: A Japonesque Shift](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/3a242cde8561810558d7ea0b8b311e9c34a604ff-4040x2688.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
I left Milan in October 2015 and moved to Tokyo. That year, Milan hosted the World Expo, filled with promises of becoming a truly international city. But back then, the atmosphere still felt modest—there wasn’t even a Starbucks or an Apple Store. Milan was proud and stylish, but not yet global. Since then, Tokyo has become my base, but Milan remains my second home. As a citizen of the Earth, and as part of my work, I often find myself returning there. I still have a “home” in Milan—a place where I feel grounded, and where I can reconnect with something essential. Now, in 2025, I find myself visiting Milan regularly. Each time I return, I notice how much the city has changed—not only visually, but culturally. Compared to Tokyo, Milan is a compact city. You can walk from one edge to the other, which makes change feel incredibly visible. Street by street, café by café, the shift is tangible.
![[COLUMN] #202 世界は友だちプロジェクト](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/be9c41d914c4b2e35b123ea9e00cc1352b60f301-6048x4024.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
ーーーこれはもう、娘には世界中に友だちをつくってもらわないと。 6年前、私は妊娠高血圧症と3日間にわたる出産を経験し、心も体も「もう二度と無理」と悲鳴をあげた。結果、娘は一人っ子として育つことになった。 だからこそ、娘には世界中に友だちを持ってほしいと願った。世界を「友だち」だと思えたら、きっと優しく、オープンマインドに育ってくれるはずだと信じた。そんな想いから、娘が3歳のときに、縁もゆかりもないけれどインド系のインターナショナルスクールに通わせた。インドは人口世界一、英語話者数も第2位。 こうして娘の「世界は友だちプロジェクト」はスタートした。
![[COLUMN] #201 変わるものの中に宿る変わらないもの](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/83df3630759ad8c8104ae258678594eca1334bcd-5369x3573.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
父はかれこれ10年以上、糠漬けを漬け続けている。朝になると台所に立ち静かに糠床をかき混ぜる。その姿は季節がいくつ巡っても変わらず、わが家の朝の風景としてすっかり定着している。 けれど、糠床そのものは常に変化している。混ぜる手の温度や湿度、前日に入れた野菜の水分量ーーそんな些細な条件の違いによって、発酵の進み具合も味わいも日々少しずつ変わっていく。昨日の味と今日の味は違うし、明日はまた別の表情を見せるだろう。 それでも、あの糠床には「変わらないもの」が存在しているように思う。
![[COLUMN] #200 無痛では得られないもの](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/d3d3cc1f15a3f7d67ab60141851d22ca2446ede8-3738x2487.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
バーーーン!!!!!! 台所の床と私の後頭部が衝突する音が、朝7時半の我が家に鳴り響いた。哺乳瓶を洗っていたら、失神したらしい。起き上がって夫に話しかけたら、また失神。今度は部屋のドアに頭突き。この異常事態に青ざめた夫は、即座に救急車を呼んだ(幸い一時的なもので、後頭部の小さな傷とおでこのたんこぶ以外はなんともなかった)。 第一子を出産し、退院二日後の朝からこんな事件に見舞われた結果、その日から夫は三週間にわたり深夜早朝のミルク、三食の自炊、子と私のケアにみずから全力で勤しんだ。恐るべし効果である。夫が産後の私を労り、育児にこんなに参加をするとは、思いもよらなかった。
![[COLUMN] #199 多様多元的な社会の中で](https://cdn.sanity.io/images/le7z07rc/staging/c490239e3a77c4520c6f67665b9441a17ae058c2-3500x2329.jpg?w=3840&q=50&fit=clip&auto=format)
家から特急わかしおに乗り、蘇我駅で総武線に乗り換えて津田沼駅に着く。小学校6年生の時、毎週日曜日に日能研津田沼校に一人で田舎からせっせと通っていた。特急わかしおは1時間に1本あるかないかだったので、塾の終了時間から電車に乗るまでちょっと時間つぶしをする場合があった。 津田沼パルコ(2023年閉店)は時間つぶしに最高の場所だった。田舎の小学校6年生にとってはなにもかもが輝いて見えた。1Fにはまだ始まって10年に満たない無印良品があった。シンプルな色の入れ物にカラフルなペンをはじめとした文房具。とにかくワクワクしながらウロウロした。時は変わって、渋谷。渋谷パルコの地下の本屋は他の本屋とは違った。そうだ名前はパルコブックセンターと洋書ロゴス。今振り返ると、単なる「買い物の場所」を超え「カルチャーを生み出し、広げる場所」としての役割を果たしてきたのだと思う。 そんな私の中で輝いていたパルコから、シェアオフィスを手伝ってもらえませんか?と話が来た。とうとうそんなところから見られるようになったのか!とちょっとほくそ笑んだ。