COLUMN #206 まだない目的地へ、漂うように進む

Topic: ColumnWritten by miya yamamoto
2025/10/17
206

この春から大学院に通っている。すると「なぜ行くことにしたの?」と聞かれるけれど、まだうまく話せた試しがない。


研究というのは航海のようだ。大海原に漕ぎ出しても、たどり着くのは小さなまちの漁港。新しい知見といっても、先人が積み上げてきた学問の上にそっと添えられる小さな点にすぎない。


それなのになぜ研究したいのだろうか。何を追求したいのだろうか。研究で社会を変えられるのだろうか、その手段はビジネスでなくていいのか。私が研究をしたところで何ができるのだろうか。


ソーシャルビジネスとかCSRとか、そうでなくても資本主義の枠の中で、ビジネスは社会に貢献する方法だ。そこから距離をとったポジションで学びに向き合うことに、正直どこか後ろめたさを感じる自分もいる。おそらくそれは、過去に社会へ新しいアクションを起こそうとして、掴みかけた瞬間を何度か手から溢してしまったことを、まだ悔やんでいるからだろう。


ならばまた実践者になればいいじゃないか。でもそうしなかった。なぜ。


きっと、まだ「時間」が必要だった。


私はかつて、働く環境で体調を崩した。社会のためになりたいと頑張っていた「私」が、どうやったらまた社会に戻れるのかを知りたい。働く場が人をすり減らす場所であってほしくない。頭がハッピーな妄想かもしれないけれど、働く場は夢を実現させる場所であってほしい。


働いて社会貢献をしたいが、それができない身体という葛藤に対して、私は学ぶことを選んだ。学ぶことは好きだし、誰かの言葉を借りるのではなく、時間をかけて自分で考え、探すことが、今の私を愛すことにつながるような気もしている。私が学んだからといって大きく世界は変わらないだろうけど「私」のために学び「私」が知りたいから研究する。


それでいい、それがいい。そしたらきっと、いつか誰かのためになる。


始まったばかりで、これからの研究がどうなるのか自分でもわからないし、このあとも悩み続けるのだろうけど、見える景色は変わっていくはずだ。


これまで自分がいかに世界のことを知らなかったかを痛感し、これからもそれに打ちのめされて、ときには焦り、悩み、悲しみ、もがくだろう。でも、知ることを思う存分に楽しもうとしている。


問い続けることで見える世界を信じるのは、儚いようで、狂っていて、至って真摯だ。


「なぜ大学院に通うのか」に関して、自信を持って簡潔な言葉で伝えられない。


けれど確かなのは、波の揺れや海の色に心を動かされるように、私はただ、漂うように進み探求の時間を味わっている。いつか辿り着きたい、まだ見ぬ目的地に向かって。

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