COLUMN #214「ワークライフバランス」っておかしくないか

Topic: ColumnWritten by Miho Koshiba
2025/12/12
214

2025104日、ニュースで流れた高市早苗さんのスピーチ。

「ワークライフバランスという言葉を捨てる。働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく。」


なかなか私にも強烈だった。賛否が大きく分かれたのも納得だ。ただ私は、その言葉のワークとライフをバランスさせないという宣言としての過激さよりも「ワークライフバランス」という言葉が根付き、それが重要であるという認識が広がっていて、それが当たり前化しつつあることを実感した。


“Work–Life Balance”という言葉は、196070年代、欧米の労働運動の中で生まれたという。当時は「仕事に人生を奪われないように」という叫びが必要だった。だから、“Work”“Life”を切り分けて、“Balance=均衡を取ることが生存戦略だったのだと思う。ここ日本では、「仕事に人生を捧げる」ことが美徳ともされ、戦後の高度成長期を経て、つい最近までその考え方が主流だった。24時間働けますかっていう栄養ドリンクのCMもなんの違和感なく流行になっていた時代もあった。


だから「ワークライフバランス」が新しい価値観として日本でも根付いてきたのはかなり納得だ。この言葉があることによって、過労問題の改善、女性の社会進出の促進、メンタルヘルス改善への大きな布石になったはずだ。ただ、2025年において、そのような単純な線引きは成り立たない。さらには、ライフとワークを切り離す必要があるのか?とも思っている。


「働くとは何か」を命題に掲げて運営をしているMIDORI.so13年間やってきて思うのは、やはりライフの中にワークがあるということ。そもそも、バランスは存在しないのだ。仕事と生活を天秤にかけるのではなく、ひとつの流れとして捉える。それが、私が感じる次のステージだ。働くことは、社会の中で自分を表現する時間。暮らすことは、その根を育てる時間。


Life as Work

生きることそのものが、私のワークである。「働く」は、会社や肩書きの中だけにあるものじゃない。

子どもと過ごす時間も、土を触ることも、人と語り合うことも、すべてがよりよく生きるための働く行為だと思う。


働くことを単なる「労働」ではなく「創造的行為」と捉えると、人生そのものが「働く」になる。

コロナ前に、アメリカオレゴン州のポートランドが都市開発の文脈で注目された。その背景には、市による人間的な都市設計があるが、そのまた背景には、そこで生活する人々のライフスタイルや思考が大きく影響していたのだと思う。会社に所属しながらその立場をうまく使って、フリーランスで、個人商店で、やりたいことを実現してきた人たちがファーストペンギンとなり、いい土壌を作り、その生態系を育んできた結果だと思う。その根底にはやはり「Life as Work」があったのだと感じる。


最近、MIDORI.soや弊社の他運営施設を訪れた人から言われた。「場の状況を見ると御社が運営してる場所ってのが聞かなくても分かります」と。これはどういうことだろうと考えていた。そこで働いている人みんなが、ワークとライフのバランスを取ってないことが、その人にそう言わせたのではないかとふと思った。面白い、楽しい、やってみたい、やったらいいことありそう。動機は様々だろうが、なんとなく多くの人が、義務感というよりは、まあやりたいからやっているというところが、どの場所にも共通している気がしている。


働いて働いて働いてもいいと思うんです。それが自身の意思であり、政治信念を全うするためであれば。あとは自分で体調やら家族のことやら調整してください。それはご自身の問題ですから。


それぞれがオーナーシップを持って働く。これがとても重要なことなのだと思う。だって自分の人生ですから。

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