COLUMN #232 祖母の〈生活-文脈〉

〈生活-文脈〉は、打越正行著の『沖縄社会論 ——周縁と暴力(筑摩書房、2025)』を読んでいて出会った言葉だ。今に続くこれまでの生活の中で形成された、わたしたち個々がこの世のあらゆるやりとりを理解する際に依存している文脈だそうだ。マーケティングや学術調査・分析、教育分野などで、個人のとある行動の背景をその人の固有の物語として理解しようと試みるアイデアとして、口にされているらしい。
この言葉を知って私の頭に浮かんだのは、大阪に住む祖母と過ごした大学3年のひと夏だった。
2022年初夏、わたしは当時家に住まわせてもらっていた祖母との同居生活に限界が来ていた。一緒に暮らしていて投げかけられる言葉第1位が結婚、その後に、女はこう、男はこうがつづく。「あるべき姿」の化身のような祖母。お互いの幸せの定義が全く違うので、わたしはこういうことがしたいんだと伝えても「そんな“普通“じゃない人生でほんとに幸せになれるの?」という疑問を呼び起こしてしまうようだった。飲み込んだ言葉が内に溜まっていって、1ヶ月が経った頃には顔を合わせるのもつらくなってしまったのだけど、学問の力を借りながら事態は好転していく。
ちょうど受講していたジェンダーの人類学をテーマにした講義で、女性運動の歴史や家族観の変遷を知り、それは図らずしも63歳差の祖母の人生に思いを馳せる時間になった。働いていた銀行を次男(つまり私の父)の出産を機にとうとう退職したという祖母は、これまでどんな風に生きてきたのだろうか。私が小学生の頃に亡くなった祖父の年金を受け取る代わりに、かつて自分が積み立てた年金を一生受け取ることはないのだと話していたあの時、祖母はどんな気持ちだったんだろうか。私にはもっともっと祖母に聞くべきことがある。そう思った。
「〈生活-文脈〉を理解するということをわたしなりにまとめると、人々は相互に異なる〈生活-文脈〉を生きていること、同じ世界に立ち同じものを見ていても隣の人とまったく異なる解釈ができるということ、そしてそれらの異なる解釈の橋渡しをおこなうのが〈生活-文脈〉理解です。それはたしかに専門的な能力や技法が求められるものですが、他方で日常的に多くの人がやっていることでもあります。(打越 2025 :33-34)」
人と言葉を切り離し、その言葉を大きな大きな構造のひとつとして捉え知っていくこと。
そして、その人の一部としてまた人に帰ってくること。
夏が今年もやってくる。また、祖母に会いに行こう。
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