COLUMN #220 歩くより、少しだけ速い歩みで

國分功一郎さんの『中動態の世界:意志と責任の考古学』を読み終えた。この読後感を残しておきたいという気持ちがむくむくと湧いてきて、コラムを書いてみることにした。
2017年に単行本が出版されてから、何度か挑戦したもののその度に挫折していた、ぼくにとっては
因縁の相手?とも言えるような本だった。今年になって文庫本が出て「文庫本を持ち歩いていたら読めるかも?(しかもブックデザインが推しデザイナーの福岡南央子さん!)」と買ってから、3ヶ月が経ち、ようやく読み終えることができた。
途中かなり難解な章が続くので、そこで挫折しかけては丁寧に読み返して、少しずつ咀嚼して…。その道のりが険しい分だけ、最後の三章とあとがきがご褒美に感じられるような本だった。(途中で挫折されたことがある人もいらっしゃる本なのでは?と思うのだけれど、ぜひみなさんに読んでもらいたい…!)
そういえば高校生の頃に、伊坂幸太郎さんの小説ばかり読んでいた時期があったな、ということを思い出した。伊坂さんの作品の、終盤にかけての伏線回収というか再構造化というか、これまでの物語の見え方がガラッと変わる感じと、今回の読後感が似ていたからかもしれない。
他の多くの哲学書と同様に『中動態の世界』も、要約にだけ触れたらなんてことないような内容なのかもしれない。けれど、それでもまとめ動画を目で追うのではなく活字に目を通すことで、「走る」のではなく「歩く」からこそ見える景色があるよな、と思う。
至ることに急ぎたくなる時もあるけれど、なるべく歩みを楽しめるように。「歩く」じゃ時間切れになってしまうような世界でも、「走る」ではなくギリギリ時間切れにはならないくらいの、「歩く」よりも少しだけ速い歩みで。大切に、その道とその歩みを味わいながら、道のおわりまで生きていきたいなあ。そんなことを思い出す体験だった。
読んだ本の内容には全く触れないまま、まあまあな文字数になってしまったので、内容についてのお話はお会いした時にでも。
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