COLUMN #208 夜に勤める

天使は言葉を伝えるために、自らを透明にしているという。
文法も、きっと同じだと思う。
僕たちは新しい言語を学ぶとき、まずは文法を覚え、規則に従って言葉を並べる。
しかし、その規則に縛られすぎてしまうと、言葉は自然に流れない。
文法は学び、身につけ、そして忘れられてこそ、初めて意味を運ぶ。
忘却の中で透明な秩序となる。
天使も文法も、透明であることが不可欠なのだ。
僕が働いているのは、MIDORI.so NIHONBASHIの夜の時間帯だ。
照明が落ちたラウンジで、利用者たちは小声で会話を始めたり、沈黙のままソファに沈んだりしている。呼吸や足音、ページをめくる音、カップが触れ合うかすかな音、キーボードをたたく音、すでに眠りについた人の存在そのものが、互いに絡み合い、一体となってハーモニーを生み出している。
一人ではあるが、孤独ではない感じがする。
僕の存在は目立たないが、その目立たなさが秩序を支えているように感じられる。
僕は空間と一緒に呼吸しているような気がする。
光は、何かを見えるようにするために、自らを透明にする。
光自身はそこにあるけれど、見る者の目に入るのは、照らされたものだけだ。
文法も同じで、そこにある規則は見えないまま、透明な秩序として意味を運ぶ。
透明なものの働きが、何かを存在させる。
僕もまた、表に出すぎれば秩序は乱れる。
透明であることは、ときに孤独に近い。
誰かに気づかれることもあれば、忘れられることもある。
それでもいいかなと思う。
天使であるためには、透明であることが必要だからだ。
天使も光も、文法も、姿を見せない。
実体はない。
それでも確かに存在している。
目に見えないものが、意味を運んでいる。
見えない力が、場を形作り、偶然の連鎖が良質なカオスを生むこともあるだろう。
夜の時間に働く僕もまた、この透明な秩序の一部として、静かに場を支えていられたらと密かに願う。
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