COLUMN #187 When I was a Boy

Topic: ColumnWritten by yoshitaka shimura
2025/5/30
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MIDORI.so NAKAMEGUROメンバーの志村不動産です。高校生のときに、バイトで貯めたお金でボロボロのフォルクスワーゲン・ビートルを買った。というのは嘘で、実際は半分も父に出してもらった。でも、父は免許を自費で取ったら車を買ってやるって約束してくれていたが、実際には半分しか出してくれなかった。ちなみに中1のとき、初めてのエレキギターも買ってくれるはずが、半分は自分で出せってことになったことがある。僕は免許代を工面した後も必死にバイトを続けた。その後も、自動車税や駐車場代、保険代など、維持費には苦しんだけれど。それでも、モスグリーンのビートルでどこへでも出かけた。それぞれの町の雰囲気や、道路と道路の組み合わせを若い頃から慣れ親しむことができた。


2018年の正月、目黒通りを歩いていた、ちょうど五十番という肉まん屋さんのあたり。僕はその時に宅建士の資格を取るために勉強を始めるって決めた。将来への不安もあった、本業は安全装置を販売するアメリカ100%の子会社の雇われ社長だ。でも、役員というのは、いつ解雇されてもおかしくない。そういう立場だから、結果を出すことができなくなったとき、モチベーションを著しく失ったとき、そもそも、日本法人を閉めるぞって言われたならお手上げ、要するに、努力しようが、しなかろうが、自分の意志で事の顛末を決められない立場だ。例えると、吾輩はアメリカの犬である、しかも忠犬だ、さらに、飼い主はさほど僕をかわいがってくれてなさそうだから僕はいつでも怯えている。宅建士になって、不動産仲介業を初めて、食べていけるようになれたら、メンタルのバランスが保てる、そんな気がした。


安全装置という、社会にとって必要なものを売る仕事はたまたま上手くできた。父から会社を引き継いで今では9年目、売上は約3倍になった。安全装置を売るのが得意なら、土地とかマンション、人々にとって必要な住処を売ることも得意になれるかも、そう思った。


宅建士の勉強は良い思い出となった。自宅のトイレや居間の壁に暗記項目をメモして貼り付け、近所のロイホで勉強させてもらった。ロイホはテーブルが広い、昼食時には何か食べて、おやつの時間になったらパフェでも嗜んで、夕飯時になったらまた食べてといった具合だ。TACという資格の学校にも通った、クラスには100人くらいの生徒がいる、このなかの上位15人に入れば合格できると考えた。自分よりできそうなやつらを1人ひとり数えては睨みつけ励みにした。絶対に1年目で決めるって自分に言い聞かせた。予定通り宅建士証の交付をうけたのは2019年だ。ちょうど、先月、5年目になったので更新を迎えた。


「不動産仲介王」になる。


だけど、仲介業を始めるには協会に数百万円を預けなくてはならない、事務所を借りて応接室などを設けなくてはいけない、しかも、専任の宅建士を自分以外に常駐させないといけない、そんなの無理だ。僕は資格を取ったあと、約2年間はなにもできなかった。


つづく @megane_zine

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