COLUMN #246 本物は、自分を本物だと言わない

Topic: ColumnWritten by ayasa hashimoto
2026/8/20
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本物って何だろう?と、ここ半年ほど考えている。

自分にとってはあれが「本物」なのではと、思い返すごとに確信めいてくる姿がある。

宮崎に住む叔父は、家庭菜園と呼ぶには広く、農業と呼ぶには小さい畑を耕し、敷地に生えている木を伐って、食器や家具や、でかすぎる犬小屋を作る。たまにそれらを売りに出す。毎日ブンという愛犬と散歩に出かけ、朝日が昇る海岸を歩いたり、犬と一緒になって急な斜面をよじ登ったりしている。ときどき『月刊漫画ガロ』に載っていそうなイラストも描く。肩書きは無い。でもその姿を思い返すと、私の中に「本物」という言葉が現れるのだ。

ただ目の前に手を動かす場所があり、対象があり、それが面白いからやっている。

叔父にとっては、野菜を育てることも、木を削ることも、絵を描くことも、いわゆる「クリエイティブな活動」ではないのだと思う。言葉にして形容する前に、暮らしの中に染み込んでいる。誰かから評価されなくても、もうそこにある。

泥のついた手。使い込まれた道具。見せる予定も無いのに描いてしまう絵。

言葉より先に現れる実態。

思えば私も子どもの頃はそうだった。雨上がりの公園で泥だらけになって遊んでいた。飽きもせず机に向かって絵を描いていた。「これは免疫力を高めるんだよ」「想像力や表現力を養うんだよ」なんて言わなかった。言う暇があったら、もっと泥を投げていたし、もっと描いていた。面白くて仕方なかった。

大人になると言葉が増えた。言葉も表現だし、繊細に扱うべき大切なものだ。

でもときどき、作品やサービスそのものよりも、言葉やコンセプトが先を歩いている光景を目の当たりにする。実態以上に魅力的な言葉で飾られ、よく見えているものもある。それを見るたびに、少し苦い気持ちになってしまう。

本当は逆で、良いものがまずそこにあり、それを良い言葉が後から補強する方が格好いいのに。

自分の手を動かして、試行錯誤を重ねることを経てこびりついた痕跡には、伝わるものがある。言葉はそれを補強するものであってほしい。0に何を掛けたって、ひたすらに0なのだから。

作る。直す。試す。失敗する。笑う。壊す。悔しがる。また作る。

子供の頃のように、叔父のように、まず手を動かすこと。実態を積み重ねよう。痕跡になるまで。

叔父は、明日もきっと畑を耕し、木を削り、ブンと散歩に行く。本人は自分が「本物」かどうかなんて、一度も考えたことがないだろう。だからこそ、私はあの姿を思い出してしまう。

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