COLUMN #238 点と点をまっすぐ結ぶべからず

Googleマップは自宅から最寄駅までの道のりを徒歩8分と示している。
僕はこの移動にできるだけ12分以上かけたいと思っており、実際にそうしようとしている。
三度寝してしまった朝や、時間にうるさい人(幸い僕のまわりには少ない)との待ち合わせを控えているとき、襟付きシャツかロンTかを迷いまくった日などは、アラフォーにしては異常に発達している速筋群を生かし、徒歩8分どころか徒走4分で駆け抜けることもある。しかし、そういった緊急時を除いて、1本隣の路地に入ってみたり、ときどき立ち止まったり、帰りなどは家の前を通り過ぎてみたりして、できるだけ自宅と駅を最短距離で結ばないようにしている。
目的地まで最短で向かうことは合理的で正しいとされるが、それに終始していると、こじれた僕の自意識は「移動している」のではなく「移動させられている」と感じはじめる。
大袈裟に言うと、ミシェル・フーコーがいう社会や規律に管理される「従順な身体」へ自分を差し出しているような感覚になってしまうのだ(モチロンだいぶ大袈裟に言うてる)。
歴史を覗くときは年表を参照し、スマホの画面越しにタイムラインを眺めている今日の我々は、時間を過去から未来へ向かう直線のようなものとして捉えることに違和感を持つことは少ない。この時間感覚のなかでは、徒歩⚪︎分の⚪︎はできるだけ小さい方がいいし、距離は最短であればあるほどエラい。
働くを考えるMIRAI-INSTITUTEにおいて「余白」は大きなキーワードのひとつだ。弊社代表の小柴美保はMIDORI.soを「余白の実験場」と形容し「※働くことは生きること。だからこそ余白を残す。」と語っている。
自分なりに「余白」を解釈してみる。それは直線的な時間感覚から一時的に降りることなのかもしれない。ハンドドリップでコーヒーを淹れること。あてもなくプラプラ町を歩くこと(散歩は最強)。丁寧に燗をつけること(去年からハマってる)。写経すること(最近ハマりかけてる)。大切な人と一緒に過ごすこと。
現代の忙しい僕らが、ナウい時間感覚から完全に逃れることは難しい。でも、ときどきは世界に身を任せ「全然言うこと聞かへんやん」な身体をいくらか獲得したい。
ちなみに、僕は今回このコラムの提出期限を大幅に破ったのだが、それは直線的な時間感覚から降りていたからでは断じてなく、単に怠惰だからなのは言うまでもない。
※ソース
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