INTERVIEW We Work Here case #24 “「幸せ」だという感情は、常に自分ではない誰かが与えてくれる

Topic: InterviewWritten by Yuko Nakayama
2020/6/10
Mitsui Yoichiro

みどり荘永田町メンバーの三井陽一郎さんは、富山県黒部市に本社を構える広告会社の社長兼クリエイティブディレクター。社長として社員を抱えながら、クリエイティブディレクターとしてクライアントの思いを汲み取り、コピーやデザイン、出来上がる作品自体をあるべき方向へとディレクションしている。三井さんが考えるクリエイティブディレクションとは何か。デザインとはそもそもの何のために、誰のためにあるのか。三井さんの働く姿勢から見える仕事観についてインタビューをした。


Interview / Text / Photo Yuko Nakayama

Edit Miho Koshiba, Moe Ishibashi


「株式会社MITAIという広告会社を経営しているんですが、最近は広告を作っていないという不思議な状態です。コロナで自粛生活が続いてから元々お付き合いのあったクライアントさんと電話やテレカンをすることが多くなったんですが、仕事の発注というよりは『これってどうしたらいいですかね?』という相談をしてもらえることが多くなりました。カスタマーセンターのような感じです。例えばコロナ対策の話だと、『どう?』『ニーズあるかな?』『やろうと思ったらどうやってやればいいかな?』という相談に対して答え、相手がいいねと言ったらそのままデザインを請け負ったり、PR戦略を作ったりしています。クリエイティブディレクションからコンサルティングに近いところまでやっています」

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「どうして相談していただけるのかを考えると、僕らが企業経営や社会の動向に敏感であるというのが一つにあると思いますし、自分たちのクライアントの状況や事業のことを誰よりも知っているからかなと推測しています。クライアントからしてみたら自分たちがやろうとしていること、やっていることがユーザーサイドにどう受け入れられるかどうか、その肌感覚を知りたいけれど分からないから、僕らからこうしたらいいのではないか、これだったら新聞でも記事にしてくれますよという客観的な視点を必要とされているのではないかなと思います。たまに『三井さんからいいねと言われると安心する』と言われることもあります()。最近は、3年も実際に会っていない人からFacebookの僕の投稿を見て仕事をいただいたりしました」

三井さんは富山県黒部市に生まれ、中学高校は県1,2位を争うバスケットボール部にてバスケットボールに夢中になり、部活動中心の学校生活を送る。高校卒業後はカナダに1年ほど留学し、帰国後は東京のマーケティング会社に3年勤めた後、実家の家業を継ぐために富山に戻った。家業は、広告代理店。三井さんで三代目となる。

「父親から新しいインターネットプロバイダーの会社を始めるので手伝って欲しいと言われ富山に戻り、その会社には1年ほどいました。元から父親の仕事を継がなければいけないオーラや周囲の雰囲気もあって、いつかは帰らなければいけないと薄々感じてはいました。30歳になって調子に乗って帰ると周りの人に頭を下げられなくなってしまうと想像していたので、どうせ帰るんだったら20代の早いうちがいいと思っていました」

「その後に広告代理店に異動したんですが、当時はザ・広告代理店で薄利を数でカバーしているようなものでした。さらに、当時(2005年くらい)はデザインやコピーにお金を払ってくれるお客さんは皆無だったので全部印刷費に入れていたんです。目に見える印刷費は払うけれども、目に見えないものは認めていただけませんでした。ただ、それでは自分たちの存在も否定することになるので、デザインと印刷は分けるようにしました。丁寧な説明とデザイン力で結果を出すことで少しずつ受け入れてもらえるようになり、今は有り難いことにディレクションやデザイン費に高い価値を認めていただいてます」

2003年から株式会社ミツイ(当時の社名)でクリエイティブディレクターとして働き始め、2009年に取締役、2014年から専務取締役、2018年に社長になった。2018年からは株式会社MITAIに社名を変更し、少数精鋭で社員8人のチームを率いている。

「社員を増やそうとも減らそうとも思っていないです。こういうのはご縁なので、いい人に出会えれば参加してもらうというスタンスです。地方、特に僕が住んでいるような田舎にはデザイナーはそんなにたくさんいないです。みんな志があったら東京を目指すので、田舎にわざわざ来る人で志を持っている人はそこまで多くはないと思います。たとえば、イラストが好きだからという理由で応募をいただいたら、やはり採用は難しいのが現状です。そうしたら、不採用通知を受け取る人は悲しいし、僕らも心苦しくて。つまりお互い不幸な状況になってしまうので、これは僕らが悪いんだなと思って応募がしにくいようにとホームページを全て英語にしてハードルをあげました。そうすると、応募はほぼなくなりました。広告の仕事は、いわば未知への挑戦みたいなところもあるので、英語のウェブだろうが中国語だろうが翻訳機能とか駆使して理解するくらいの心構えは必須かもしれません」


「久しぶりに4月に入社した新卒の女性が変わっていて、今の20代前後の人たちって親に大切に育てられてきたであろう世代なのに、自らキツいバイトを進んでやってきたバックグランドがある。力仕事が必要な工場や同時に多くのお客さんの注文を対応しなければならない忙しい串カツ店でひたすら働きながら、将来を見据えて社会に出たらもっと厳しいことがあることをイメージしながら、目の前にある仕事を乗り越えていったそうです。その人の癖なんでしょうけど、今この空間で起こっていることに常に意識が向いている。僕と話す時も積極的にコミュニケーションを取ってきて、そういう人に出会えるとちょっと救われます。自分たちが望んでいたものは間違ってはいなかった、ただそんなに頻繁に出会えるタイプではないですし、他の若者がダメということでもなくて、ただちょっとびっくりしたということです」

現在社長業も兼任しながらクリエイティブディレクションも手がける三井さんだが、社長業もある意味でクリエイティブディレクションだと話す。

「『すべての仕事はクリエイティブディレクションである。』という本がありましたけれど、まさにその通りだなと思っています。常に課題があり、その課題をどう解決するか。社員の働く環境においても課題はあります。それを解決するためには、クリエイティビティがあった方が便利です。クリエイティブという言葉はデザイン界の業界用語みたいに思われがちですが、経営にこそ必要だと思います。枠を決め、僕らがやっていることがその枠から外れていないかどうか、本来達成すべき目的に向かっているかどうか、目を光らせるのがクリエイティブディレクターの役目。デザイン自体に口出しはしませんが、方向性や目的からずれたデザインをしていたら、こういう目的があるんだからこの色は違うんじゃないのという具合に助言はします。目的を達成するための手段として正しいかどうかのチェックをするのがクリエイティブディレクターです」

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今まで数多くのクリエイティブディレクションを手がけ、「デザインとは何か?」その問いに向き合ってきた三井さんにとって、デザインとは「心配りのようなもの」だそうだ。

「分かりにくいものが分かりやすくなったほうが手に取りやすいし、一見難しいものが分かるようになっていたら、使う人は安心する。どちらかというと礼儀のような世界。一言で言うと、デザインは情報整理だと会社でも言っています。膨大な情報がある中で本当に大事なものを一個二個選んで形にし、相手が分かるようにするのがデザイン。心配りや思いやりです。デザイン=オシャレだと思っている人が多いですが、全くそんなことはない。これが分かりにくいから、分かりやすくしようねというのがデザインだと思っています。情報整理が出来ていないダサいポスターでももちろん反応する人がいると思うんですが、デザインすれば5倍反応する人が増えると思うんです。そこに意味がある」

IKEA3Dプリンタのデータを使って、IKEAの家具にちょっとしたアダプターを付けると障害のある人たちでも家具を利用できるようになるサービスを作りました。その際に、デザインを民主化したと表現したんですけど、民主化ってすごくいい言葉だと思います。デザインを特定の人のものではなくて、みんなのものにしないといけない。一人でも多くの人が触れられるようなデザインを作る。オシャレかどうかではなく、必要な情報が正しく伝わっているかどうかが全てです」

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世の中に送り出していく作品の受け手として「相手」の存在を強く意識する三井さん。どんな気持ちで日々、働き生きているのか。三井さんの「働く」とは。

「そもそも働いている感覚があまりなくて、とにかく役に立てることを探している感じです。働くとは、世の中をよくするために考えてアクションすること。もちろんお金のために働くでも全然いいですが、世の中が良くないのに自分だけが良くなることはないと思うんです。でも、世の中が良くなれば自分も一緒に良くなれる気がします。だから情けは人の為ならずのように、世のため人のためは自分のためなのではないかと思います。最近思うんですが、幸せだなという感情は、常に自分ではない誰かが与えてくれるのではないかと。美味しいと思えるプリンを作れたとしてもその喜びは大したことはなくて、それを食べてくれた誰かが『美味いね!』と言ってくれたら喜びが倍増じゃないですか。仕事も同じで、社会とクライアントさんをハッピーにすることばかり考えています」

「人生を良くするために仕事をしているのに、メンタルを削ってまで働いている人は辞めたほうがいいと思います。人間というものは分かり合えないことが多い、むしろそちらの方が多いんだから、分かり合えないときに無理やりお金で繋がるよりかは、『分かり合えないですね』とお互いを尊重しあって離れた方がいいんじゃないかと」

相手がいてこそ、自分の幸せが存在する。その相関図が自身の頭の中でしっかりと焼き付いている三井さんの仕事に対する姿勢はプラスの要素を感じる。どこからそのマインドはやってくるのだろうか。

「基本的に何でも楽しんでいます。昔は、エゴが顔を出すと楽しくないダークサイドに落ちていきましたね(笑)。『何でオレのデザインがわからないんだ』と思っていた時代は全然楽しくなかったんです。でもその考えがダサいなと気づいてからはお客さんから意見をいただいた時は更に良くなるチャンス!と思えるようになりました。ありがたいことです。人のせいにしていては前に進まないんですが、原因は自分の中にあると思えたら、それって前進なんですよね。よく楽しいかどうかみたいな話になるんですが、そんな時は世の中に楽しいことなんてひとつもない、ただ楽しんでいる人がいるだけという話をします。宝塚を作った小林一三さんが、『下足番を命じられたなら日本一の下足番になってみなさい。そうしたら、君を誰も下足番にはしておかない』という名言を残しています。何でも与えられたことを楽しもうとしている人はどんどん良くなっていくし、そういう人を誰もそのままにはしておかないものです」

「昔は僕のことをキツかったと言う人もいます。青年会議所というNGO15年ほど在籍していたんですが、その団体が社会を良くしよう、人のためにという考えを大事にしているので、そこでの経験が相当影響していると思うし、人生観を変えたんじゃないかと思っています。青年会議所は全国に692箇所あり、僕は黒部の青年会議所に入っていましたが、途中6年は永田町みどり荘から徒歩3分の本部に通ったり、青年会議所の国際部門でブータンの人たちと一緒に公衆トイレをキレイにするプロジェクトをやったりもしました。いや、正直自分がブータンでトイレ事業をやってる姿は想像もしてませんでした(笑)。ただ、何でもやってみよう、楽しもうと思っているので、気づきや学びは多いです」

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三井さんのInstagramに投稿されている金継ぎの写真

最近は金継ぎに目覚めたそうだ。自分が手がけている仕事と金継ぎの世界は似ていると言うが、その類似性とは。そして三井さんのこれからとは。

「金継ぎのいいところは、割れたら終わりではないことですね。割れたら次の人生がそこにはあって、使うのか、鑑賞なのかはわからないですけど、また違った形で美しくなる。これは、自分の今やっている仕事に似ていると考えています。クライアントさんは課題があるときに、僕たちに声をかけてくれます。つまりお皿で言えば割れてしまった状態なんです。それをどう自分が継いで美しく生き返らせるかが仕事みたいなもので、金継ぎと一緒だと思っています」

「金継ぎを始めた理由は、人生の最後はじっくりコツコツひとりで何かを創ることをしたくて何をしようかなと思っていたところに出会ったからです。これだ!と正に運命の出会いでした。何でもそうなんですが、何かを始める時には終わりを想像しがちです。社長を始めたときにも「何歳で社長を辞めようかな」を考えました。誰かがいないといけないのは、あまり良くない状況だと思っていて、会社で言えばスタッフのみんなが自分で考えて仕事が生まれていくのが理想です。そういう会社になったら、僕は思う存分に金継師として生きていきたいです(笑)」

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最後に、みどり荘とは?

「コミュニティ感がちゃんとある。いい意味でメンバーやCOの人が関わってくれる。zoomで飲み会をするのでどうですかと誘ってもらった時は、とてもありがたかった。最近はリアルに人と関わり合うことが無くなってきたけど、昔は関わり合わなかったら生きていけなかった。それこそ隣の家に醤油を貸りに行く、そういう時代。今はSNSやネットもあって便利なので、人と関わらなくても生きていける時代ですよね。でもみどり荘は関わりあうことを大事にしているから、僕は好きです。それが大きいですね。デザインの話でもしましたが、オシャレかどうかではないです。いやみどり荘はお洒落ですが(笑)、機能美のある空間で人と人が関わり合っているのが美しいです。これからもよろしくお願いします」


Mitsui Yoichiro

Creative Director

広告会社経営。69年目に苗字を冠した社名を変更、ミツイをミタイにして、家業を少し公に。家族経営は三井さんのの代で最後だと言い切っている。人口4万人の富山県黒部市に住みつつクライアントは全国に。経営に役立つ企業ブランディング、商品売上に貢献できる広告戦略、パッケージデザインなど、一つのものを作るというよりは、企業や商品が良くなるために必要なことの全てに関わる。

https://www.mitai.co.jp/

https://note.com/mitsui416




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