COLUMN #94 rejection accepted

今年大学4年生の私は只今就職活動真っ最中だ。先日、その選考の段階で受けなければいけない「一般社会人として広く必要とされる資質」を測定する適性検査の性格を測る部分に引っかかってしまったのだ。
性格検査なんてアンケートみたいなものだろうと思っていたらなんと不合格。書類が通ってからのことだったから、なおさら困惑した。面接で口籠もってしまったり、とんちんかんなことを言って面接官を惑乱させてしまったのならわかるのだが、まったく理由がわからなかった。
それならと性格検査で落ちる要因をネットで調べてみたら、「①極端な回答」「②回答の矛盾」「③社風との不一致」が主な理由だそうだ。そのサイトに書かれていたアドバイスは「回答に一貫性を持たせる」だった。これまで私は予測不可能な人間の方が面白いと思っていたけれど、世の中の認識は違っていたようだ。20代前半で性格に一貫性がある人のどこが面白いんだろうか?似通ったパーソナリティーで社内を固めるよりも、バラバラな人たちが1つのゴールを追っていく方が楽しいんじゃないかと単純に思えた。(後者ってまさにMIDORI.soなのかも)
こんな愚痴まがいのことを友人に話していたら「就活の性格検査ってMBTI診断っぽいよね」と言われた。
ちなみにMBTI(Myers–Briggs Type Indicator)とは、ユングのタイプ論(ここで既に怪しい)をベースにアメリカ人の母娘による研究チームによって発表されたもので、4つの要素を二分化して16の性格タイプを導き出すもの。ただの擬似科学と思うかもしれないが、今では初対面の人にMBTIを聞いたり、SNSのプロフィールに記載したりとかなりポピュラーだ。
私は16のタイプの中でINFP(仲介者)と分類される。どうやらINFPは営業職には向いておらず、翻訳者か芸術家になるのがベストだと書かれてあり、王道ルートからはズレズレだ。こんなテストごときで一般職への挑戦すら許されないのかと苛立ちも感じた。
擬似科学に似たテストでその人のなにが分かるのだろうか?こうした性格診断はほとんど二元論で、最も人間的な奥行きのあるはずの部分が無視されているように感じる。コミュニケーションを通して推し計らないといけないのにも関わらず、初期の段階で切り捨てるということは、人を育てるというよりも、企業に見合った人格をピックして人を消費していくという姿勢を指し示しているようにも感じる。(まさに現代のモノの消費の仕方が人の消費へと反映されてる)
昨年の2月にMIDORI.soが実施したイベント”就活(してもしなくてもいい)相談会”で、これからの働き方を考える機会を学生にもたらしているのを見て、こんなにも真剣に学生について考えてくれる人たちがいたんだと少し驚いた。私はMIDORI.soが人をグラデーションとして受け入れ、未知を分類せず、未知としてそのまま受け入れる姿勢が好きだ。
真剣な企業、未知を脅威と捉えない企業、人を分類しない企業、こんな抽象度の高い私の企業選びじゃ人生お先真っ暗な気もするが、私は来年の4月“何か“になっているだろう自分が楽しみだ。(京都で染物職人になっているかもしれないし、異国のバナナ農園でバナナを摘んでいるかもしれない。)
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