COLUMN #84 SURREAL

「自分がやりたかったこと、これからやりたいことってなんだろう?」と考え、子供の頃の自分を思い返してみた。
小さい頃から走り回ること、喋ることが好きで、家族旅行で今まで行ったことのない場所に足を踏み入れる時には、興奮して鼻血を出すような子供だった。また、新しいものを見たり聞いたりすることが好きで、ちょっと変わったもの、周りの友達が選ばないようなものを選ぶことに快感を覚えたりしていた。
今の仕事は、成り行きといえば成り行きで、「楽しそう」「ワクワクする」「何か新しいことが起きるのでは」というような期待感と、新しい領域とポジションに対する少しの不安の中でその誘いに乗った。
運よく、環境適応能力はそれなりにあるようで、なんとかそれなりに少しの図太さを成長させながら半年をかけてだんだんと新たな環境に慣れてきた。
しかし、1人の人間が半年をかけて仕事環境の変化に馴染んできたところを、世の中の技術はその倍以上、あり得ないくらいの速度で変化しているらしい。
最近では、ChatGPTが世に出てきたことにより、「人間がAIに勝てる仕事とは?」「AIに奪われる仕事と奪われない仕事。」といった二項対立の議論が成されるメディアコンテンツをよく目にする。人間によって作られた技術に「勝つ」という表現は面白いモノだなと思いつつ、今では精度の高いバーチャルヒューマンが簡単に生成できたりする技術の進歩に圧倒される。
「生身の人間は死んでも、長い時間をかけてAIに自分の特性を学習させ続けることでバーチャルの世界では一生生き続ける時代になる」という言葉を聞いた時に、少し拒絶感を覚えた。
何かを残したい訳ではないし、誰かに一生記憶していてほしいとも思わない。
ここしばらく考えてこなかった、「人間らしく、自分らしく生きること。」ただひたすらに、自分の好奇心センサーを頼りにしながら、これまで経験してこなかったことや新しい環境に身を投じること、そこから得られる体験や感性を大事にして生きていきたい、そう思った。
余談だが、いまのところ、AIは未来を予測することや最新の情報に対しては適応していないらしい。全てこれまで学習してきた情報を元に答え / 結果を提示している。AI自身は自ら新しいことに踏み込むことや、偶発的なアクション、予測不可能な行動をとることには向いていないようだ。その領域は人間のほうがウワテなのかも知れない。
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