COLUMN #71 a box of chocolates

Written by yoshitaka shimura
2022/12/23
a box of chocolates

志村不動産です。今回がエピソード5です。ロサンゼルスはメルローズにある、ギャラリーHVW8のオーナー、タイラーと仲良くなり、僕は黙々とギャラリーの仕事を手伝った。しばらくして、Megane Zineのメンバーで、リリースパーティーとグループ展をやらせてくれることになった。僕は「Megane Zine 2」の準備に入った。今度は厚紙にUV加工を施し、まるで子供の絵本のように仕上げようと考えた。なぜなら、せっかく刷り上がった最初のZine3歳の娘に渡した瞬間、ビリビリに破かれてしまったからだ。

かえる先生、大西くん、花井くん、それ以外にも声をかけてみたくなった。参加してくれたのは、JUN OSONLy、抜水摩耶、新納英仁、武居功一郎だ。表紙にはエド・テンプルトンの好意で、トイマシーンの1つ目キャラクター「セクト」が注射器を持っているイラストが使えた。表紙にはみんなの描くキャラクターたちを転々とレイアウトした。濱田さんの好意でビームスTからもMeganeTシャツが出た。

エドは過去のスケボーデッキに用いたスケッチをいくつか渡してくれた。HVW8のグループ展で展示するようにとのことだった。あの「ビューティフル・ルーザーズ」のメンバーであるエドテンの作品を自分たちのアートショーに混ぜていいのか?!、さらに眼鏡を持って倒れながら「Megane!」と叫ぶセクトの絵をその場で描いてくれた。彼がなぜそこまで協力的だったのかは未だに不明すぎる。とにかく、エドと一緒にZineをつくっているという事実はLAにおいてその影響力と説得力が想像以上だった。

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やがて日本のみんなの作品が続々と届いた。1つひとつ開梱してブログに載せた。いよいよ、翌日はJUN OSONが最初にLA入りすることになっていたので、僕は無理をして15人乗りのバンを予約した。帰りに携帯が鳴った、JUN OSONだった。「志村さん、今、空港にいるんですけど」と言うので、「成田ですか?」と聞いたらLAXにいるという、彼は時差があることを理解していなかった。なので、予定していた1日前に着いてしまった。慌てて空港に向ったが、そもそも初対面だったため、それっぽい日本人を探すのに苦労した。空港を一通り走りながら探していたところ「志村さん!」と声をかけてくれた。こいつがJUN OSONか!

翌々日、かえる先生と大西くん、そして、レセプションでDJをしてくれるマグナロイドとタケポンが来た。新納くんも一緒だ。JUN OSONを乗せたバンでピックアップしに行った。そのまま、HVW8があるメルローズに行くと、スタバの前に花井くんがとびっきりの笑顔で立っていた。HVW8でしばし時間をつぶしたあと、タコスをかじって、ハリウッドのプリズムギャラリーでバリー・マッギーの展示を観た。東京で毎日のように遊んでいた仲間がほぼ全員ここにいる。1つのバンに乗り、マグナロイドが後部座席で終始くだらない話をする。みんなが笑っていた。ロスでは太陽が沈んだ直後、ゴールデンタイムと呼ばれる瞬間がある。夕焼けとも言えないような、神秘的な時間のなかダウンタウンのビル群を眺めながらフリーウェイを走っていた。ラジオからUnder The Bridgeがかかった。「ロサンゼルスだぜ!」そういう気分だった。

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オープニングが終わると、1人、また1人と帰って行った。会期終了が間近に迫ったある日、なんと、僕たちのバイブル「リラックスマガジン」の編集長だった岡本仁さんが立ち寄ってくれた!彼は作品を1つひとつじっくり観ていた。何を喋ったのか、何を喋ってくれたのか、興奮しすぎて何も覚えていない。脇汗だけがふんだんに吹き出た。

人生というのは、ひと箱分のチョコレートみたいなもので何が起こるか分からない。リラックスマガジンを通してジェフを知り、彼の作品に感銘を受けてから10年ほどが経つと、ジェフとも岡本さんとも知り合いになれた。僕は多分、目の前にいる人の役に立とうと行動する。必然と物事は望む方向に向かっていく。渦中にいると、ほとんど前に進んでいないように感じる。ただ、チャンスというのは、本気で必然だ。気が付いたとき、成果は過去となり、もっと先を臨めるようになる。

LAでのできごとはブログに細かく残している。大切な思い出なので、消さないでいた。ぜひ、観てもらいたい。最近のできごとはインスタ(@megane_zine)で、ぜひ!仲間たちは今では大スターだ。ほんとに頼もしい限りです。

それでは、みなさん、良いお年を!来年、また元気でお会いしましょう!!

つづく

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