COLUMN #70 hand in hand

志村不動産です。今回がエピソード4です。父の影響で子供のころから海外に行く機会が多く、外国慣れしていたけど、語学はというと全く話せなかった。高校生の時に留学を目指してTOEFLを勉強したが、結果的に230点ほどだった。当時は慣れ親しんだ環境と友人がいない世界に飛び込む勇気も無かった。なので、英語を話すと言うことについては見て見ぬ振りをしてきた。
職場の夏休みを利用してジェフに会いに行った。その時もほとんど会話ができなかった。もっと話せるようになったら世界が広がると考え、アメリカ留学を決意した。僕は30歳だった。F‐1ビザを取得して、ロサンゼルスに渡った。19歳くらいの若者たちが通う一般的な語学学校がサンタモニカにあった。あちこちのイベントやレセプションに顔を出しては、SHIFT、CBCNET、PUBLIC IMAGE、Plus 81などのブログに記事を寄せた。しかし、憧れていた人たちやシーンには遭遇できずに悶々としていた。そんなとき、小中高で5個上の先輩、昔から可愛がってくれてた平野太呂と妃奈が家に泊まりに来た。太呂くんの展示をAbbot Kinneyの篠本さんのお店「Tortoise」で開催するためだ。
2人の訪問が僕のLAライフを変えた。
OK STOREやHEATH CERANICSに連れて行ってくれて、アダム・シルバーマンを紹介してくれた。ダウンタウンのBLENDSというスニーカー屋さんのタクさんとも仲良くなった。DOSAの展示にも一緒に行きクリスティーナ・キムやアリス・ウォータースにも会えた。Joshua Treeに行き、アルマ・アレンの家にも行けた。なかでもFamily Book Storeは印象的だった、ZINEが沢山置いてあって、どの本も魅力的で、憧れたシーンがそこにあった。篠本さんはのちに、皆川伸一郎さんと中原慎一郎さんを紹介してくれた。太呂くんは帰り際に、週末エド・テンプルトンの展示がロバーツ&ティルトンであるから行くことを勧めてくれた、当日、僕は1人でそこに行った。驚いた。有名なスケーターが沢山いて、アーロン・ローズにも会えた。エドとも話し、連絡先を交換した。
帰りの車で、考えた。日本の仲間たちとZINEをつくって、Family Book Storeみたいなところに置いてもらいたい。そのZINEがあれば、自分の名刺代わりにもなるし、誰かに会った時に語学が乏しい僕をZINEが補完してくれる。早速、かえる先生と大西くんに相談して、花井くんも誘った、そうやってできたのがMEGANE ZINEだ。裏表紙には、日本の若いアーティストに向けた激励のメッセージをKAWS、Mike Mills、Raymond Pettibon、Ed Templeton、John McCambridge、Alma Allenに書いてもらってプリントした。僕はこのZINEを最大限に利用した。「日本にいる若くて有能なアーティストをいっぱい知っている。裏表紙を見てくれ、彼らからも僕は支持されている。」そんなキメ台詞をあちこちで言った。著名人に会ったら、MEGANE ZINEを渡し、キメ台詞をきめて、写真を撮ってブログに載せた。なかでも、トニー・アルバやヘンリー・ロリンズに会えたのには感動的だった。


HVW8(Heavy Weight Gallery)のタイラーとマックスに知り合った、そこではParraの展示をしていた、そして、次回の展示は、ジェフ・マクフェトリッジ、マイケル・レオン、ケヴィン・ライオンズのグループ展ということだ。僕はこのグループ展を手伝うことにした、ギャラリーの壁を白く塗って、穴を埋めて、フライヤーに使う写真を撮った。そして、3人がやってきた、僕は興奮を抑えられなかった。彼らの展示を運営側として一緒にやれていることが嘘のように思えた。絵を置く位置を決めて、飾っていった、グループ展が仕上がってきた。オープニング当日は写真撮影を任されて、打ち上げにも参加した。

次回の展示がまだ先だから、MEGANE ZINEのクルーで展示をしないかとタイラーが僕に言った。Parra、ジェフ・マクフェトリッジ、マイケル・レオン、ケヴィン・ライオンズに続いて、MEGANE ZINEがここで展示できるの!
みんなをLAに呼ばなくちゃ!!
つづく
MIDORI.so Newsletter: