COLUMN #62 living in a community

Topic: ColumnWritten by shunwakui
2022/10/21
living in a community

人間は、豊かな猿か貧しい猿か

チンパンジーは、地位の為に群れの内部で激しく争うこともあれば、協力して他の群れと戦うこともあるそうだ。なぜこれほどまでに地位に執着するかには2つの要因があるという。

1つは、メスのチンパンジーの繁殖率が非常に低く56年に1回しか出産しないことに由来する。つまりは性的に成熟したオスの数が、生殖活動を行うメスよりはるかに多く、さらにメスのチンパンジーがオスを受け入れるのは1度のサイクルで23日なので交尾のチャンスはさらに減少する。生まれてくる子ザルの3050%の父親はボスザルなので第1位のオスになると適応上大きな利益がある。地位の高い個体は食物が豊富な土地も手に入れられる。メスのチンパンジーも食物をめぐって争うが、協力はしないらしい。

チンパンジーと100万年前に枝分かれしたボノボを比較してみると、ボノボは「ヒッピー・チンパンジー」とも呼ばれているそうだ。「戦争ではなくセックスしよう」の精神を実施しているように見えるからだと言う。ボノボ社会にも階級はあるが、顕著なのがメスのボノボはオスよりもやや優勢、あるいはほぼ対等であり、メス同士の結びつきが強い。チンパンジーとの違いでもっと興味深いのは、おそらく性行動だ。ボノボは複雑な「社会的性行動」を行う。つまりはセックスが子作り以外の社会的役割を担っているということ。メス同士、オス同士でのオーラル・セックスは珍しくない。メスは大抵の時期に性交可能でそれは人間と同じく排卵時期がはっきりしないそうだ。オスのボノボは、メスが他のオスと交尾するのを防ごうとはしないし、外の群れと接触するときも、戦闘的なチンパンジーに比べてはるかに平和的だとみることができる。

2つ目の要因はこのボノボとチンパンジーの正反対な生活から読み取ることができる。ボノボはコンゴ側の南部、チンパンジーは北部に生息しており、チンパンジーのいる地域にはゴリラも生息している。ゴリラは1日に20キロもの大量の葉、茎、根、つる、草などを食べる。その結果、チンパンジーの食べ物は主に果実で、その半分をイチジクが占めている。そのためチンパンジーは1日のほとんどを「食料調達隊」として過ごしている。ここがボノボとの大きな違いだ。チンパンジーの群れは、食べ物を集めにいく時、比較的小さなグループに分かれるがボノボはもっと大きなグループをつくる。チンパンジーのメスは単独で採集活動を行うことが多いが、ボノボはメス同士、あるいはオスとメスが混ざったグループで採集をする。その結果メスのボノボは緊密な関係をつくり、それが長い時間のうちに進化して、地位の関係を根本から変えたのだ。

ボノボは、特に食物とセックスに関してチンパンジーよりも豊かということになる。決して、ボノボ社会に階級がないというのではない。地位の階層はやはり存在するが高い地位による利益を受けるのが、チンパンジーのように上位の個体には限られていないのだ。階層の頂点やその近くにいることは、チンパンジーにとってのほうがはるかに重要な意味をもつ。

では、私たち人間はボノボに近いのだろうか、それとも、チンパンジーに近いのだろうか?
まず、人間はボノボのように「自己家畜化」し、子どものころの特徴を長く維持している。さらには人間の女性とボノボには、排卵期がはっきり分からないという共通点がある。しかし一方では、チンパンジーのように派閥による優遇を含め、群れ間の競争の名残のような性質も共通してもっている。可能性としてボノボ寄り・チンパンジー寄りと規定するのではなく、人間は規範や文化的な制度に合わせて地位の関係を柔軟に変えられるということだ。

例えば、一夫一妻制の発達だ。世界的に一夫一妻制が広がったのは比較的最近のことで、日本で一夫多妻制が禁止されたのは1880年、中国は1953年、インドでは1963年だ。一夫多妻制では地位をめぐる競争が激化し、結婚しない男の数が増える。すると地位のジレンマも増える。一夫一妻制は、地位をめぐる競争を緩和するための、文化的な新機軸だったのだ。それによって殺人、暴力、強盗、詐欺などが減った。また一夫一妻制によって出生率が上がり、ジェンダーによる不平等が減ると同時に、親からの投資、貯蓄、経済生産性が向上した。もちろん支配者層のエリートは一夫一妻制によって失うものが多く、エリート側の利益には反していた。しかし、集団間の競争力圧力があまりに大きく、社会的な協力の為に彼らの利益が犠牲になったのだと考えれる。一夫一妻制は人間の一大発明であり、この出現によって地位を巡る競争が弱まり地位のジレンマも軽減された。

チンパンジーとボノボがそれぞれ持つ価値によって地位や社会性がかわってくるように、私たち人間の中でもそれぞれがもつ価値によってその人を取り巻く環境は変わってくるだろう。選択肢が広がるこの現代だからこそ、自分に正直になり、物事を見極めて自分の生息地(居場所)を探していくのがいいのではないだろうか。なぜならそういった選択の繰り返しでしか私たちは先にすすめないからだ。違うと思えば選び直せばいいし、好きなら同じ選択を続けるのもいい。ただ決して他人に自分の人生を握らせない方がいいだろう。いまのところ幸い私の上にボスザルはいない。

*『クール 脳はなぜ「かっこいい」を買ってしまうのか』
スティーヴン・クウォーツ (), アネット・アスプ () 日経BP, 2016
p188より一部間接引用しています。

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