COLUMN #59 sense of wonder

忘れる事
先日博物館に行った際に久々に感じた壮大さと感動。センス・オブ・ワンダー。僕は、アートよりも魅力に説明がついて、説明がつなくても理屈なく感動が出来るので、博物館がとても好きです。ただ、「人がいなければもっと楽しめるのにな〜」と毎度思います。それは「のんびりマイペースに見たい」という自分勝手な感情と、スマホでパシャパシャ写真を撮る人が大勢いて醒めてしまうからです。
忘れたくないのか、記憶の補助的な物なのか、SNS用なのか。理由は人それぞれですが現代人は異常に写真に残そうとする。。僕自身その時期もありましたが、今はやめました。
30代に入ったタイミングでやけに物忘れが激しくなりました。接客業をしていた時にお客様の顔と名前が怖いぐらいに覚えられなくなり、いつしか覚える工夫から誤魔化す工夫になり、いよいよ劣化のフェーズに入ったのかとショックを受けました(そうなると、生え際も後退してるのではと気になったのを覚えています)。
忘れる事を前提にしてからは、記録はスマホの写真やメモ機能に頼る事が多くなりました。ちょうどその頃からSNSでの発信も仕事で必要になり、記録は記憶の役割を担っていました。もしかしたら、記録が多くなることで記憶力が低下していったのではないかとも思っています。。写真に納めていると思うと覚えていない事がより多くなってきました。「忘れた」というより「覚えていない」という感覚が私にはしっくりきます。記録はあるけど写真に思い出がなく、他人の写真を見ているような、または記憶喪失のような感覚だからです。
不器用な自分は記録に残そうと必死に良い位置を探し、何枚も写真を撮っている内に集中力の矛先が変わっていきました。。だから元々SNSが得意じゃない自分は、仕事以外では写真をほぼ撮る事なくその場の雰囲気を感じることを優先することにしました。「忘れても良いから、その場の雰囲気を楽しもう」と。
記憶のメカニズムは、脳が優先順位を付けていき、低いものはどんどん忘れるようです。優先順位を付ける条件は色々あるようですが、思い出や感覚に強く結びついた記憶は「いつか必要になるかも」と思い、残すのだそうです。僕の場合、まさに「写真を振り返ればいい」と思い出に昇華されなかった出来事が、脳の中で優先順位を下げ、どんどん忘れていったのでしょう。
AIの発展によって単純作業がなくなると言われていましたが、最近一足飛びでクリエイティブ領域ですら危うくなってきました。(2026年までにはネット上のコンテンツの90%以上がAIによって生成されると言っている専門家もいるそうです)メタヴァースなど、リアルじゃなかった物事がどんどんリアルになり、中途半端なものはどんどん無くなっていくのでしょう。そうなると「何で楽しみ、何で悲しみ、何で感動し、何が大切で、何を思うか」そういった人間らしさこそが重要になるのでは?
美術館や博物館に行く人には、記録を残すのではなく、今その場で体感する事を重要視して、敢えて「忘れること」も受け入れ、自分の中に残ったものを大切にして欲しいと思います。そして、MIDORI.soはメンバーの忘れたく無いことを共有できる場所であり続ければ嬉しいなと思います。
MIDORI.so Newsletter: