COLUMN #200 無痛では得られないもの

Topic: ColumnWritten by Michiru Ikari
2025/9/5
200

バーーーン!!!!!!

台所の床と私の後頭部が衝突する音が、朝7時半の我が家に鳴り響いた。哺乳瓶を洗っていたら、失神したらしい。起き上がって夫に話しかけたら、また失神。今度は部屋のドアに頭突き。この異常事態に青ざめた夫は、即座に救急車を呼んだ(幸い一時的なもので、後頭部の小さな傷とおでこのたんこぶ以外はなんともなかった)。


第一子を出産し、退院二日後の朝からこんな事件に見舞われた結果、その日から夫は三週間にわたり深夜早朝のミルク、三食の自炊、子と私のケアにみずから全力で勤しんだ。恐るべし効果である。夫が産後の私を労り、育児にこんなに参加をするとは、思いもよらなかった。


産前、夫は「自営業の自分には育休があるわけでもなく、仕事を休む選択は難しい」と、折に触れて口にしていた(まぁわかるけど)。出産予定日の直前に泊まりがけの出張予定を入れかけたこともあった(窘めたらやや逆ギレ)。さらには「里帰りしないの?」と他人事のような言い方をする夫に心底ムッとしてしまい(里帰りしてくれませんか、ならば考えたが!)、その言葉をスルーし、ムキになって退院後は実家ではなく自宅に帰る選択をした。だが、これでは産後クライシスまっしぐらかもしれない……と、内心覚悟していた。それなのに、まさかの面目一新とは。逆・産後クライシス。


出産にあたり「痛いの絶対イヤ」だった私は、迷わず無痛分娩を選択した。

しかし、出産〜産後を通じて三つの痛みを経験し、「痛みというものは時に必要である」という学びを得た。


一つ目が、陣痛。

二つ目が、腰痛。

そして三つ目が、夫の大活躍を(図らずしも)呼んだ失神事件である。


無痛分娩では、麻酔の影響でお産が進みにくくなることがある。実際、陣痛促進剤を開始してもその先になかなか進まず、その日は陣痛室に籠ることになった。翌日早朝、なんと麻酔薬のカートリッジが空になる事態に。麻酔切れにより地獄の痛みを味わったが、そのおかげで子宮口は最大まで開き、分娩室へ移動できた。陣痛は必要だった。


その後、念願の麻酔が再開。しかし、痛みが引かない。おかしい。あっ……これ、腰痛だ。よりによって陣痛の何倍も痛い。いきむと気が狂いそうなほど痛い。これには医師と助産師も首を傾げ、麻酔があるのに腰痛で痛がる患者は見たことがないという。これ以上痛みをとる方法は無いみたいだ。


出産は休みながらいきんで徐々に出すものだと思っていたが、想像と全く違っていた。助産師いわく「良いいきみ方で一気に子を出しきるしかない」と(そりゃそうだ)。しかも「まだ相当時間がかかりそうだ」と恐ろしい事を言う。超激痛付き最高にいきめるまで帰れまテンという、とんでもないゲームに突入していた。


このまま不発のイマイチいきみを繰り返していては、痛みでもう頭がどうにかなってしまいそうだ。「すみません下から出すの無理なんで、今すぐ帝王切開してもらえませんか!?」と懇願しそうになったが、そんなことはできるはずもない。後戻りする選択肢はすべて失われている。絶望した。


……30秒間の思考)……


一刻も早く分娩しなければ。

覚悟が決まった。心を徹底的に無にして、全力でいきんだ。そして、主治医の的確な励ましと吸引処置によって、約1時間後に分娩を果たしたのだった。子が出た瞬間、なんと全ての痛みが消失した。我が子誕生の感動を味わうべきところ、「腰痛の原因もアンタなの」が心の中の第一声だった。約3kgの子を抱き上げたら、これ入ってたらそりゃ重いし痛いわ!ってなった。


退院前日。会計額が心づもりより十数万円も高くて、驚愕した。諸々の施術のチリツモ数万円に加え、入院から分娩までの計二泊で八万円もかかっていたのだ。「麻酔で痛くないだろうし、過去の出産事例にあった4日ぐらいかかったとしても別にいいかな」と入院前は呑気に構えていたが、あぶなかった。

陣痛と腰痛でお産が進まなければ、サイベックス(いいベビーカー)を余裕で買える額が飛ぶところだった。


……痛くて、良かった!!!!!!


ちなみに無痛分娩一式で12万円かかっている。結果的には痛かったけれど、会陰切開など諸々の処置の痛みをパスできたので無駄ではなかったというのを補足しておく

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