COLUMN #198 扉を閉める力加減

Topic: ColumnWritten by miyuu ouchi
2025/8/22
198

今日は820日。

愛知の山奥にある祖父母の家に滞在している。


到着したその日に、この家のドアを閉める力加減が強すぎる自分に気づいた。そーっと閉めようと思っていても気づいたらもうドアノブが手から離れていて、勢いづいた扉が「バターン」と閉まる。やっちまったという顔でじじと目を合わせる。


この力加減は、いったいどこで暮らす仕様のものなんだろうか。

合計1年ほど住み込みで滞在させてもらっていた岡山県岡山市にあるゲストハウス「とりいくぐる」の、空気抵抗を手に感じながらよいしょと閉まるあの個室だろうか。知らないうちに、身体が身を置く場所仕様になっているものなんだな。


わたしは大学生活の間に、7回引っ越しをして計7つの家で暮らした。2ヶ月ほどの滞在も含めると、もっと。ということは、わたしの身体には7か所の場所で暮らす仕様がインストールされたことになる。階段をかけ上がる歩幅も、扉を閉める力加減も、身体を緩める場所も、それぞれに異なる。


身体の動きだけでなく、言語や言葉づかい、相手に見せる表情やそこに表れる会話の内容も、当たり前だけど場所によって、そのときに対峙している相手によって、異なっている。その全部が現在のわたしを構成していると思うと面白い。


思い返せば大学1〜2年生の頃は長期休みのたびにあちこち足を運び滞在するも、なんとなくひとつひとつがブツ切りで、自分の中に積み重なっていく感じがまるでなかった。あまりよく覚えていないし。滞在する目的ばかりが先行していて「何かスキルを手にいれるため」にその場にいたからかもしれない。


最近読んでいる『ケアと編集』という本で、著者の白石正明さんが「現在」を「未来」の手段にすることなく、現在そのものを味わうことの可能性(117頁)」について書かれていた。行為を手段ではなく目的として楽しむことで何かが変わってくる、と。「「何か」が何なのかはやってみなければわからない。しかしそれは確実にやってくるという確信だけはある(109頁)」と。


薪で風呂を沸かしたり、川にザブンと横になってみたり。とにかく真剣に楽しく「現在」をやってみることで、身を置く場所から何かを受け取って、わたしもこの場に何かをもたらす。その繰り返しで、きっとわたしはどんどん積み重なり、広がっていく。


滞在6日目、そろそろ、扉をちょうど「パッタン」と閉まるぐらいの力で押せるようになってきた。この家でじじと祖母のあーちゃんと過ごす「現在」を、もっともっと身体に貯めておきたい。


参考:白石正明(2025)『ケアと編集』岩波新書

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