COLUMN #172 (てん)・線(せん)・心(しん)

Topic: ColumnWritten by takumi shimada
2025/2/7
172

大学時代の恩師が今年で定年を迎えられ、もうすぐ最後の教壇に立つ。

そんなタイミングだからなのか、最近は大学時代のことが思い返される。


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高校生の頃に伊坂幸太郎の「砂漠」を読んで、事件性のある大学生活に憧れたものだった。

現実はどうかというと。小説のような、読者をワクワクさせられるようなドラマチックな展開はなかったが、登場人物としては十分にワクワクできる4年間を過ごせたと思う。


にも関わらず。卒業旅行から帰る日の早朝、熱海の古い旅館の大浴場で、ぼくはそれまでの人生で最も深いセンチメンタルに取り憑かれていた。


これからぼくたちは大学を卒業して、それぞれが別の会社で仕事をするようになる。すると、これまで毎日のように顔を合わせていた友人たちと、(基本的には)会おうと思わないと会えなくなる。そんな当たり前に訪れる平凡な不幸を想像してしまったのだ。


もしも、これからの人生でその人と会う回数が、その人の頭の上にでも表示されるようになったとして。その数字はお互いの意思に依存する変数かもしれないが、どちらかがこの世を去った時には予測の答え合わせができる実数だ。もしかしたら、昨日楽しく酒を酌み交わした中に、「0」と表示される友人もいるのかもしれない。


そんな想像をしていたら、これまで人間関係を「線」のようなものだと信じていたが、互いの人生が交わる「点」の連続が線に見えていたのかもしれないと思えてきた。それはぼくにとって、「今あなたが立っている地面は、実は2種類の円運動をしているんだよ」と唐突に打ち明けられたような、足元を揺るがす気づきだった。


たくさんの線でつながれていると思っていたのに、誰ともつながっていないんじゃないかと、その時はけっこう落ち込んだ。ぼくの他にもうひとりだけ朝風呂に来ていたおじいちゃんがいなかったら、泣いていたかもしれない。


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「人間関係、実は点だった説」という小さな絶望を小脇に抱えながら、それでも3年くらい社会人を頑張って、小さな絶望を忘れるくらい大きなシステムとの折り合いがついてきた頃のこと。ぼくは新たな説に出会った。


きっかけは、漫画家の知人におすすめされた映画『横道世之介』だった。詳細は割愛するが、横道世之介という人物を、いろいろな人たちがそれぞれのタイミングで思い出すという話だ。(ちょっと長いけれど、とてもオススメ!)


その後もいろいろな出来事と体験が重なって、人間関係とは「線」とか「点」とか三次元に表現できるようなものではなくて、「心」に互いを住まわせ合うということなのだと。ぼくは、そう信じてみることにした。


「人間関係、実は心だった説」という小さな希望を小脇に抱えながら、大好きな人たちをひとり残らず心に住まわせられるように、おおきくて住み心地の良い心を育むための修行はつづく。


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長くなり過ぎたとワードファイルを保存しようとしたその時に、息子の名前を決める時の最終候補まで残ったのが「心(しん)」だったことを想い出して、ちょっとタイトルを書き換えてみた。

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