COLUMN #164 谷川俊太郎さんをしのぶ

詩人・谷川俊太郎さんが92歳で逝去されたことをニュースで知った。
ものすごいファンということではないけれど高校時代に出会った谷川さんの代表作「幸せについて」は今も読むたびにたくさんの気づきがあるし、本棚の詩集を手に取れば、かならず今日の自分に刺さる詩が見つかる。
「幸せが儚いとしたら、不幸せだって儚いのさ」
言葉をあげればキリがなく、日常の何気ないことを作品にした谷川さんの詩の数々に、たくさん励まされてきた。
生涯詩人であることを貫き、三回の結婚、時代を生きた人、そして人の心を幾年も超えてここまで揺さぶれる人はどんな人なんだろうと数年前に講演会にも行った。これほど偉大な人の生の言葉を聞いてみたいという衝動にかられていた。
講演会では、途中でポケットに入っていた携帯電話が鳴り、パカパカのそれを取り出して、壇上で一通り話す谷川さんの姿が。通話の最後に、「今講演会中だからまたあとで」と言って丁寧に電話をきった。誰も急かすこともなく、会場はとても温かい空気に包まれていた。思った以上に、お茶目なお人柄だなぁと思った。
言葉を生業にしていた谷川さんが、その時に言った言葉が印象的だった。
「詩は言葉を読むものではなく、行間を読むものだ」
言葉と言葉の間に何があるのか。その空白に潜むものを感じてほしいということが谷川さんのメッセージであった。おそらくこれは詩だけでの話ではなく、言葉だけを切り取り伝えられている情報社会において、行間を読むことが、「今」をもっとたしかなものにするものだということなのかと、当時のメモを振り返って思った。
講演会を聞いてから、いろんな変化があった。私の変化も、社会の変化も。それでも、谷川さんの言葉は普遍的だし、私にとって原点を教えてくれる一つの指標である。
谷川俊太郎さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
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