COLUMN #145 おばあちゃんの腕時計

最近の腕時計はというと、スマートウォッチ化され交通系ICカードが登録できたり、メールやアプリの通知が来たり、はたまた健康状態まで管理してくれ、それまでの時間を教えてくれるものという概念以上の働きをしている。そして私も最近腕時計をつけている。それは交通系ICになるどころか、壊れて動かない。針が止まってしまっているのだ。
その腕時計は中学生の頃に祖母から譲り受けたもので、やさしい金色の縁と黒の細めの革のベルトに、文字盤のところには黒地に石が入ったとてもシンプルなものだ。これを特に理由もなく、急に祖母が私に渡してくれた。当時離れた国に住んでいたのもあり、いつもお守りのようにしてずっと肌身離さずつけていた。文字盤は数字ではなく石なので、細かい時刻はわかりにくい。学生の頃はよく、文字盤がはっきりわかるものをつけるように言われていたのだが「ざっと大まかにわかればいいか〜。」くらいの適当な私は不便を感じなかったこともあり、変わらず文字盤が見えにくい祖母の時計を身に着け受験や学校生活を乗り越えてきた。たくさんの時間を祖母と共有してきた気分だ。
しかしその時計が2〜3年前に急に止まってしまったのである。修理をするには直営店まで持っていきオーバーホールに出さなければならない。また時計も古いことから修理費も思った以上にかかることがわかり、つけなくなってしまったのだ。
しばらくして祖母のお葬式でのこと。私の従兄弟も参列しており、彼は亡くなった祖父の腕時計をつけていた。線の細い彼に背の大きかった祖父の時計は若干大きく見えた。しかしその時計について説明してくれたときの従兄弟の誇らしげで嬉しそうな表情は、とても心が温まるものだった。
私はまた祖母からもらった壊れた時計を手に取ってみた。もしかしたら動くのではないかと、ありもしない期待をしてその時計を見つめたりする。(早く修理に出せばいいだけの話なのだけど)10年以上つけていた時計を改めてつけてみるとやは
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