COLUMN #139 それも全部自然だから

Topic: ColumnWritten by Naohiro Kiyota
2024/5/31
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山は新緑がだんだん濃くなってきました。5月末にもなると湿気が出てきて、梅雨が近づいているのを肌で感じます。僕が普段働いている檜原村のVillageという場所では、5月から7月まで石の展示をしています。


石といってもただの石ではなく、日本中の川を歩いて探し回って拾ってきた石を台座の上に立てただけの超ミニマルな彫刻で、車から取り出したエンジンでその車をぶん回すという言葉ではよく伝わらない作品を作ってきた久保田弘成さんという現代美術家によるアート作品です。いまその石を壁一面に1,000個以上並べていて、ぱっと見、無数のお地蔵さんが並んでいるようで、思わずお賽銭をおいていきそうになるくらい神聖な迫力が出まくっていています。Villageは宿泊もできるのですが「夜、石たちに見られてるみたいで怖かった」という宿泊客もいるくらいなのですが、自然には怖い面もありますね。もしかしたら霊感が強い人だったのかな。


そして石は展示するだけではなく全部販売しています。「拾ってきた石を売るのか?!アコギやな!」というお客さんもいましたが、アートの原価計算をするほど野暮なことはない。アートってそういうものですし、それがアートの面白さですよね、既成概念に揺さぶりをかけるという。事前の予想に反して結構売れていてひとまずホッとしています(ほっとしちゃうところが俗物感あるよねw)。つげ義春の『石を売る』みたいになってはダメだという怖さがあったので。石を売ること自体、アートだなあとも思います。石はどこにでも落ちてるもんだから、と思ったけど、案外都会には石が落ちてないことに最近気がつきました。


昔『ガロ』という漫画雑誌がありましたが、そこで『ねじ式』などめちゃくちゃシュールな漫画を発表していたつげ義春さんという漫画家がいて、『石を売る』という多摩川で拾ってきた石を河原で売る主人公とその家族を描いた作品があります。中国から鎌倉時代くらいに伝わった、盆の上に天然の石を置きそこに自然の景色を見出して鑑賞する「水石」という文化があり、主人公は多摩川で拾った石を水石として売ろうとするのですが、ことごとく売れず家族がとても悲惨な目にあうというストーリーで、、読むととても暗い気分になるのであまりお勧めできませんが、水石自体も最近の盆栽ブームとともに再び注目されつつあります。昔から水石と盆栽はセットで鑑賞されてきた歴史があるので。


盆栽を始める若い人が増えてきているそうで僕も以前から気になってたのですが、先日開催したVillageの盆栽教室をきっかけに、やっと盆栽を始めました。盆栽はだいたい樹齢数十年で、中には数百年のものもあり、アート作品のように売り買いされながら、価格が上がったり下がったり、持ち主を変えながら受け継がれるもので、人間が世話をしないと枯れて価値がゼロになってしまうという、まさに生きたアートだなと。育てるのに時間がかかるので「もっと早く始めておけばよかった」という高齢の愛好家も多く、うちの隣のおじいちゃんも庭に立派な盆栽を飾ってて、将来的に誰が受け継ぐことになるのか、あわよくば僕が、、と気になっています。


石や盆栽に現代人が惹かれるのは、自然を無意識に欲している現れだろうなあと思います。でも都会の自然は公園だけにあるものでもなく、見えないところで本当はうごめいていて。この前、古民家賃貸に住んでるコミュニティオーガナイザーさんが「GW頃にシロアリが大発生して超キモかった」と言ってたのですが、それがまさに自然だなあと。自然は怖いですよね、こっちの山でもごく自然に見られる風景でGWになったらたくさん出てきます。人間から見て美しいものも、キモいものも、自然から見たら全部自然。季節のサイクルに合わせて全ての生き物たちは動いていて、季節がわからなくなってるのは人間くらいかもしれません。ひょっとして、生き物として結構やばいのでは?? 盆栽を飾って葉の色の変化や成長具合を見たり、石の乾き具合を触って感じたり、そういう行為を通して昔の都会人は季節を感じ自然とつながってきたんだろうなあと、最近気づかされました。恐縮です!

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