COLUMN #128 ユートピアなんてない

昨年の夏のこと。
フランスのPoitiers駅から2時間車を走らせRaissacという街に位置する、Domaine de Boisbuchetに足を踏み入れた。Vitra出身のAlexander Von Vegesackが25年前に購入した150ヘクタールの土地。この場所の目的はデザインと教育が出会う場を創設すること。そこにボランティアとして参加した。夜には真っ暗な空に星がみえ、静寂の中に足音すら美しく感じた。スタッフたちは世間から離れた泡のような場所だと口々にいった。
毎年Domaine de Boisbuchetでは、夏になると各国から講師を招いて、学生やアーティスト、会社員、デザイナーに至るまで様々な人が参加可能なワークショップを行っている。例えば、海藻をマテリアルにして、衣服や顔を覆うマスクや作品を作ったり、敷地内で伐採された一本の木をまるまる使って、木工をしてみたり、影や光を用いてプロダクトを作ったり。どれもユニークだ。
ワークショップは5日間。日本円にして大体20万円で3食のご飯付きで滞在できる。ボランティアは5週間、業務に従事すると残りの1週間はワークショップに無料で参加する資格を得る。
広大な敷地に池と川があり、小型の日本家屋とチャイニーズパビリオン、バンブーパビリオン、といった建築物が点在する。森の中には羊67匹に3羽の鶏、3頭のロバがいる。
よくどこで知ったの?と聞かれる。インスタグラムでたまたま見つけたアカウントで、ボランティア募集をしていて、私がヨーロッパを旅する期間と重なったこともあり、応募をしてみたのだ。Web上にアップされている写真から、まるでユートピアのような場所があるものだなあと未知の世界に胸を踊らせていた。
だが、現実は甘くなかった。例えば1日のスケジュールは下記のように進んで行った。
07:00 起床
08:00 朝食の準備
10:00 まで朝食係
11:00 まで片付け
13:00 まで洗濯するかちょっとゆっくりするか
それからお昼ご飯を食べて、
15:00 まで片付けて、シーツを洗濯して
19:30 まで休み
それから20:30から夜ご飯で
23:00-24:00まで片付け
これがマックスのスケジュールの日。休みの日や時間の十分にある日とまちまちだった。とはいえ1日が終わるとベッドに倒れ込むように寝て、翌朝7時に起きる生活。
移動の自由はほぼなく、キッチンと寝床の往復になってしまうことも多々あり、他のボランティアメンバーとは檻みたいだねと言いあったりした。
***
この経験を経て、ユートピアに見えた場所は人々の手によって、毎年毎年懸命に紡がれていることがわかった。そして、そこはユートピアのような場所なんかではなく、淡々とした日常があり、働くことがあり、社会があった。お金を払って参加者としてこの場所を訪れていたら、また違った景色が見えたかもしれない。だが、その内実を知ってから、改めてこの取り組みを形にしていることの稀有性や作っている人々に対して尊敬の念を抱いた。それからインスタグラムのフィードからは見えなかった顔の見える場所になった。
事実、ときめくような雲と夕焼けのグラデーションが織りなす空の下でアウトドアダイニングや湖畔の前でのディナー、ボランティアメンバーとのカヌー下り、焚き火をしながらのムービーナイト、アーティストや講師たちによる講義やワークショップなどにも参加して充実した経験をした。そこは大人がこどものようにのびのびとアートやものづくりに打ち込むのに最適で豊かな場所だった。
世界中のどこへ行ったってユートピアなんてないのかもしれない。そこはそこでやっぱり苦しいことも辛いことも問題もある。どんな場所でも取り組みでも、それは変わらないのだ。
今いる自分の足元を見て行動しようと思い直した時間だった。
MIDORI.so Newsletter: