COLUMN #16 roots

ここ数年、自分がどこで生まれ育ち、どこにルーツがあるのかを考えるようになった。先日18歳まで過ごした東京に6年ぶりに帰ってきたが、働き始め、成人を迎えてお酒を覚えた京都での記憶の方が、心に残る思い出が多い。そして自分のルーツについて考えるきっかけがあったのも京都だった。中学校の修学旅行で行った京都だったが、町屋と石畳、そして繁華街のビルの間から見える山の近さを覚えていて、高校卒業後イギリス留学から帰ってきてから京都に住んでみたいと思った1ヶ月後には住み込みの仕事を見つけ、そこで出会う人たちに惹かれ、見過ごしてしまうほど静かに開いているお店との出会いを宝探しみたいに求めていた。
そんな中、パン屋にいたおばあちゃんからの『あんた京都の子ちゃうやろ?』という一言。あまりに唐突で、そして自然に言われたので、面食らって反応もできなかったのを覚えている。快くない気持ち半分、これがテレビで聞いたよそ者文化か!という芸能人と話した時のような嬉しさ半分。もちろん、よそ者発言も一部の人ではある。その証拠に、私の玄関のドアノブにお裾分けを置いといてくれる近所のおばあちゃんや、『ちょっと痩せました?』と声をかけると喜んでオマケしてくれる代々続くクリーニング屋のおじいちゃんもいた。
ただ、その後もあの一言が忘れられず、歴史的な背景の諸説も色々調べて、『よそ』と『うち』を分けたがるのは、生まれ育った『うち』をよく知り、『うち』への強い誇りの表れなのだと考えた。私はそれは素敵なことだと思っている。そして今もある京都の歴史や風景がこれほど残っているのも、この簡単に人を寄せ付けない見えない壁に守られてきたからなのかもしれない。
それに対して、私は東京のことをどれだけ理解しているのか。家族に聞いたところ、私のルーツをたどると秋田、富山、名古屋、そして満州にまで広がるらしいから、私のルーツをめぐる旅は東京だけにはとどまらないだろう。今は自分史という枠を超えて、いろんな物事への歴史、生まれた経緯を一つづつ知っていくことは、一歩づつ先の未来を創っていくことと同じくらい楽しくてワクワクする。過去と未来という相反しているような2つの時間は、今という時間によってしっかり繋がっているから。
MIDORI.soにいると、そこらじゅうから感じられる歴史。物の古い新しいだけでなく、関わってきた人たちが作った空気が感じさせるもので、それが地層みたいに確実に積み重なってできたMIDORI.soをさらに広げていきたい。馬喰横山という新たなスタートがあり、そして来年10周年を迎えるというタイミングでコミュニテオーガナイザーとなった私は、「みなさんはどこからきていますか?」そんなことをメンバーとの会話でも聞いていきながら、MIDORI.soの歴史に触れていきたい。
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