INTERVIEW We Work Here case #30 「何が面白いのか、自分の直感を信じて流れに身を任せる」

MIDORI.soメンバーの丸山研司さんは、現在クリエイティブディレクター/プロデューサーとして、デジタルエクスペリエンスの企画からプロデュースまで手がけている。元々はアナログの世界を好んでいた彼がなぜデジタルテクノロジーを駆使した境界に足を踏み入れたのか。そして、それでもなおアナログな体験に重きを置く理由とは。丸山さんの今までの人生を振り返りながら「働く」を紐解いてみた。
[ Interview / Text / Photo ] Yuko Nakayama
[ Edit ] Miho Koshiba
デジタル技術を駆使し、デジタルとリアル(アナログの要素)を掛け合わせて、空間インスタレーション設計やIoTプロダクト開発、広告プロモーションやライブ演出などの新しい体験を世の中に提供しています。社名のSPECIAL REQUESTの由来は、ある日夢の中で会社名を考えていて「SPECIAL REQUEST」という単語が出てきたからです。夢から覚めた後にその言葉を思い出したら、意外といいのではないかと思い社名にしました。これは寝る前にたまたま聴いていたレゲエのレコードに「SPECIAL REQUEST TO〜」とMCが入っていたことが原因かもしれないです。
後付けにはなるんですが、人間同士のコミュニケーションもプログラムも最初にREQUEST(投げかけ)があって初めて成立するものだと思っています。そのリアルコミュニケーションとデジタルの共通する最初の部分のREQUESTからSPECIALなものに変えていくと言った意味を込めています。人間同士のコミュニケーションとデジタルテクノロジーの中間にある本質的なところを大切にする会社といったニュアンスですね。

自身の学生時代をやんちゃであったと話す丸山さんは、高校生の頃にラップやヒップホップに夢中になり、自然とレコードを聴く習慣も身についていったそうだ。
高校1年生の頃、両親が実家に帰っている間に、数日間留守番をしたことがありました。当時Beastie BoysのFight For Your RightのMV(ミュージックビデオ)をどうしてもリアルに再現したかった僕はこれはチャンスだと思い立ち、親のいない間に家財道具を家の隅っこに退かし、ターンテーブルをセットし友達を集めて一晩中パーティーをやってみました。当時住んでいた家は公務員住宅で隣の家に住む生徒会長の両親はかなり激怒していたと思います。今考えれば迷惑以外の何ものでもない話ですが、やんちゃなことばかりしていたような気がします。
高校時代はBUDDHA BRANDが人気を博していて、例にも漏れず僕もヒップホップに狂わされた10代でした。友人たちとラップを録音する合宿をしたり、バイト先の寿司屋ではラジカセを持って行き、休憩時間にみんなでフリースタイルをやったりしていましたね。音楽もレコードで聴くことが多く、レコードを買う癖はいまだに抜けていないです。レコードを聴くという行為は、面倒と言えば面倒ですが、面倒くさいことが味だと思います。今の若い人たち、いわゆるZ世代の子たちがレコードやテープを面白がっている話を聞きますが、それはとても興味深いですね。音楽もYOUTUBEやサブスクのサービスで聞くことが当たり前で、お金や手間をかけなくても必要なものが手に入る時代に不便なものに関心が高まっている。直接モノに触れる本質的な体験はどの時代においても「面白い」という感覚に繋がるんだと思います。キャンプなどが流行っているのも最たる例ですよね。
その考え方は、今のお仕事に活かされていますか。
僕がこれまで生きてきた時代は今と違って流れに流されまくっていたと思います。中学校の時にポケベルが流行り、その1年後にはPHS、その少し先に携帯が出てきて、Windowsが出始めるというめまぐるしい変化があった。音楽のメディアにおいても、最初はカセットテープだったのがCDに移り、MDになったり、iPodになりどんどん触れるものが変わっていき、一度としてそれが長く続くということがないような世代かなと思っています。今まで時代の変化に流されてきたからこそ、物に触れる感覚は自分の体験として強みなのかもしれない。物に触れるというアナログな体験とデジタルな体験、どちらも兼ね備えたハイブリッドな体験が分かる世代であり、そういう意味では今の仕事にも活用できていると思っています。

20代はデジタルに全く興味がなく、卒業後はハードコアバンドにも参加しながら、編集プロダクションでディレクターとして働いていたそうだ。
もともと僕はデジタルが嫌いでした。大学生だった20年ほど前のWEBサイトのトレンドは級数が小さくてやたら見にくく、レイアウトにもかなり制限がありました。おしゃれな学生たちが美容室のウェブサイトを作ってお金をもらいましたという話を聞いても全く魅力を感じず、その当時にデジタルの要素を含んだ何かを作ろうという感覚はありませんでした。むしろその時代はR25などのフリーペーパーが大量に駅に置いてあるようなまだまだ紙が元気な時でした。カルチャー方面の先輩たちもアンダーグラウンドなフリーペーパーやZINEを出していたこともあり、どちらかと言えば紙などの触れられるものの方が自由度も高いし、魅力的だと思っていました。自分でもZINEを作って渋谷のタワレコで販売したことがあります。
当時は就職氷河期で、就職活動してみてもほとんど勉強してこなかったので箸にも棒にもかからない。それに加えて、当時仲がよかった友人や先輩たちにバリバリ働いているような人は少なかった。そんな状況で無理して就職しなくてもいいのではないいかとある種の開き直りのような状態になり、気づけばハードコアバンドにジョインしていました。ANTI SOCIETYまっしぐらでしたね。ただ飯は食わないといけないので、友達の親父さんの会社で電話線の図面を引く仕事を手伝ったり、編集プロダクションで2年ほどディレクターとしてタイアップ広告を作ったり、編集ページを作っていました。その後はフリーでライター、エディターとして働きながら、限りなくフリーターに近いギリギリのフリーランス生活を送ってました。あの時代にウーバーイーツがあったら絶対に副業でやっていたと思います。
自由を謳歌していた20代。30代を目前にして、2008年リーマンショックが起こる。経済は崩れ落ち、紙媒体の業界にも衰退期が訪れ、デジタルの世界に足を踏み入れていく。
ふと考えた時に、デジタル業界はそこまで景気が悪く見えなかったし、食わず嫌いも良くないと思い、リーマンショックのタイミングにデジタルの世界に入ってみました。10年前はFlashがまだ元気な頃で、WEBにリッチなアニメーションや映像、音楽もつけれるようになっていてデザイン的な自由度も格段に上がっていました。その複合的要素に可能性を感じ、今までにないコンテンツを作って世の中をあっと言わせることができるかもしれないという確信を感じたことを覚えています。そんなこんなでいくつかのプロダクションを経て、その後は前職のワントゥーテンという会社で8年ほど企画からプロデュースまで肩書きにこだわることもなく、幅広くコンテンツを制作する仕事をしていました。

8年ほど勤めた会社を辞めて、昨年の9月にSPECIAL REQUESTを立ち上げた丸山さん。コロナ禍においてその決断はどのようなものだったのか。
今まで流れるままに流れてきて、最終的に流れ着いた先が今の仕事であると考えています。流れに身を任せることは悪いことでないなと思っています。自分軸で何を面白いと感じ、その感覚を信じて行動していていくことに面白みを感じます。前職はそのあたりをとても理解してくれていたのでかなり自由に動かせてもらっていたと思います。しかし、これは当たり前の話なのですが、会社に属している限りは会社の大きな判断に従わなければならないですよね。その会社の判断に対して自分だったらこうするのにな、と想像してみることが多くなり、自分の考えが本当に正しいのか答え合わせをしたくなったんです。会社を辞めた時にはすでにコロナ禍だったので起業するにはベストタイミングとは言えない状況でしたが、辞めたことへの後悔はないです。自分の人生においてどういう道に進むべきかは直感に従います。生まれてこの方根拠のない自信でずっと生きているのかもしれないです。
新しく立ち上げた会社では、これまでの経験を活かして店舗やオフィスのクリエイティブからDXの推進をガシガシやっていきたいと思っていたのですが、このコロナ禍では厳しいですよね。そんな中で、偶然にもライブ配信と最新のテクノロジーを掛け合わせて新しい体験を作るXRの仕事に携わる機会が増えてきました。最近のプロジェクトだとPARIS MEN’S FASHION WEEKで発表された「kolor AW2021-2022 Collection」のリアルタイム映像演出のプランニング・プロデュースを担当させていただいたんですが、このような仕事はコロナ前だったら声をかけてもらえることはまずなかったと思います。音楽のライブやファッションショー等、コロナ前では関われなかった仕事ができるようになったのも時代の一つの流れに身を委ねた結果なのかもしれません。今まで時代に散々流されてきたからこそ、その時代ごとにフィットした1番いいコンテンツが作れる。自分には最低限のサバイブしていく力はあると思っています。

どんな時代においても、サバイブしていく力は、その直感力とそれを信じて行動していく勇気によって培わせれてきたのかもしれない。丸山さんにとって働くとは。
仕事がプライベートであり、仕事が仕事であったりもする。真面目に遊んでいる感じです。楽しんで仕事をしているイコール遊びなのかもしれない。遊びという言葉は軽く聞こえてしまうかもしれないですが、結局のところ一緒に仕事をしてどんどん仲間を増やしていき、仲の良い人などお互い気の知れた仲で仕事ができるのもいいところですね。でも仲が良いからこそ変なところを見せれないプレッシャーもある。そんな緊張感も持ちつつ、いろいろな人とコラボレーションして新しいものを生み出すことは最高に楽しいですね。緊張感を持ってモチベーションを高く仕事することが真面目に遊んでいるという意味に繋がっていると考えています。
10年前だったら「仕事=遊び」のようなことを言っている人がいたら「絶対嘘だ」と言っていたと思います。20代の頃は「仕事=仕事」いわゆるプライベートと仕事は違うものと捉えていました。30代になってデジタル業界に入り、仕事を公私混同できるようになるまでにかなり苦労をしましたが、今では「仕事=遊び」と言えている。それだけ人として成長できたのかもしれないです。
デジタル技術とアナログの要素を掛け合わせた体験を通して、私たちは今までに感じたことがない感覚を刺激され、不思議な感覚にいい意味で取り憑かれていく。丸山さんがプロジェクトの企画を考える時に大事にしていることはなんだろうか。
感覚的な言葉ですが、カッコよくて機能的なものを意識しています。誰が見てもこれはめちゃめちゃカッコいいもの、かつちゃんと機能的なものを作ることが自分の中のコンセプトです。カッコいいけれど、なにも機能していないものはとても表層的だと感じますし、表面的なカッコよさと機能を両立させなければ、お客さんから依頼された仕事が意味を成さないとも考えます。

独立してもなお、時代の変化とともに新しい仕事を手がけてきた丸山さん。今後会社として、また個人としてやっていきたいことは何だろうか。
まずは会社を大きくして、組織にしていくことが1つ。会社を立ち上げたもののまだ社員はいないのでフリーランスの延長のような状態です。このままでは前職を辞めた目的は達成できないので、今期中にメンバーを増やしたいと思っています。
個人としては仕事で得たデジタルテクノロジーのナレッジを10代の頃からお世話になったカルチャーにも還元していきたいとも思っています。その一環として、有志のメンバーで[ve-nu] (ヴェニュー)というプロジェクトを立ち上げました。ve-nuは実在するエンタテインメント空間をヴァーチャル空間上に忠実に再現し、最新テクノロジーでライブやDJ、その場所の持つ魅力までをもアップデートするプロジェクトです。その第1弾として、老舗のDJバー青山蜂とタッグを組みオンライン上に青山蜂の空間を完全再現して25TH VIRTUAL ANNIVERSARY PARTYを実施しました。コロナでなかなか実際のお店に集まれる機会がなくなっているので、このような取り組みを行うことで微力ながらカルチャーへのサポートしていければと思っています。


最後に、丸山さんにとってMIDORI.soとは。
メンバーになってからまだ半年も経っていないですが、しばらくいるという感覚があります。MIDORI.soは遊び場として最高です。家より居心地がいいかもしれない。今の季節は寒いのでCO(コミュニティ・オーガナイザー)の皆さんが防寒対策をしてくれていますが、全部が至れり尽くせりな環境になってしまったら、逆に嫌な空間になってしまう気がします。例えば、僕がMIDORI.soに入った頃はまだ残暑があり、窓の隙間から蚊が入ってきたり、蚊取り線香の匂いが部屋に漂っていました。痒いし、臭いもするけれど、こういう感覚を忘れていたなと思い出させられたんです。本来ならば、そういうノイズと言われるものは、仕事には必要ないと判断され無くすように心がけると思います。だけど、例えば60年代のジャマイカのレコードを聴けばチリチリとしたノイズが入っているように、音楽からしてみたらそのノイズは必要ないんですけれど、その当時のレコードはそのノイズと一緒に聴くからこそ心地よい、という感覚と似ている気がします。全部クリアにしてデジタルリマスター版にしてしまったら、味気のないものになってしまう。だから僕にとってMIDORI.soの居心地の良さは、実はノイズがあるからだと思っています。
Kenji Maruyama 丸山研司
Creative Director / Producer
1980年生まれ。2020年8月までワントゥーテンのチーフプロデューサー/クリエイティブディレクターとして空間インスタレーション設計、IoTプロダクト開発、広告プロモーション制作、
AIコンサルティング等、幅広い領域のクリエイティブを担当。デジタルとリアルを融合した
新しい体験設計を得意とし、これまでに国内外の様々なアワードを受賞。
2020年9月より独立し、(株)SPECIAL REQUESTを設立。
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