INTERVIEW case#11 We Work Here "やっていることが一見意味がなさそうでも、自分にとっての意味が欲しい"

Topic: InterviewWritten by Miho KoshibaAt MIDORI.so Nakameguro
2019/3/25
John and Fuyuko

ドキュメンタリー映像を制作するみどり荘中目黒メンバーAshi Filmsの望月冬子さんとJOHN ENOSさん夫婦。映像という表現方法を通して人々の経験を伝えている。テレビやウェブの映像が溢れいている現代において、彼らが撮りたいと思う映像とは。そして、映像を通して観る側に伝えたいこととは一体なんなのか。ドキュメンタリー映像への思いや考えを中心にインタビューをしてみた。


冬子「主にテレビ向けというよりもウェブ媒体で視聴するドキュメンタリーを作っています。YAHOOCNNがやっている『GREAT BIG STORY』シリーズなど。結構ウェブのドキュメンタリーってミレニアム世代の人が中心になって視聴するからアテンションスパンが短かったり、動画慣れしちゃってて目が肥えてしまってる。最初の冒頭数秒見て、止めてしまう人もいる中でどれだけ最後まで見てもらえるか。ストーリーを追ってもらえるか」

Great Big Story


冬子さんは日本の大学で法学部に在籍していたが、アメリカカリフォルニアのバークレーの留学をきっかけに、帰国後大学院では文化人類学の道に進む。そして、彼女はドキュメンタリーの世界へ進むことになる。


冬子「文化が全然日本と違うじゃない。すごい個人主義だったり、たまたま住んでいた寮がビーガンハウスだったのね。キッチンに肉持ち込み禁止みたいな。しかも服がオプショナルで裸の人もいたりして、結構ヒッピーだった。考えていることや態度がクレイジーだったり、そのことをノートに書いていたりした。完全に忘れて日本に帰って来るときにそのノートを見返したら、留学した直後と1年を経て帰って来たときの自分の考えが明らかに違うなってわかった。最初は『なんでビーガンなの?』とか。『なんで自分のことばっかり気にしてて、私のこと構ってくれないんだ』とか。人ってこれくらい環境に左右されるものなんだなあって。自分っていうものが普段あるような気がしているけど、結局一年前の自分と1

年後の自分って環境次第で、180度変わってたりするからそれがすごく面白いなあって」

冬子「文化人類学って他の相手の文化のことを知るというところから始めるんだけど、全然自分と違う文化のところに飛び込んで最低2年はフィールドワークをして、言語を学んで、その人たちの考え方を見つけて、さてどういうことかなって。留学していたときに、周りにすごく瞑想する人が多かったことから、日本の文化なのになぜアメリカ人がそんなに瞑想したがるのかなというテーマで、アメリカの仏教について研究していた。だけど、この後どうしようかなって思ったときに、このままアカデミックに残るのはちょっと違うなと思い、一番それに近いドキュメンタリーを選んだ」


表現の方法は映像だけではなかったはず。なぜ映像の世界へ足を踏み入れたのか。

冬子「知らない人に会いに行って、見て、話を聞いて、その人の考え方を知るっていうのが好き。映像って五感を使うものだから。ビジュアルもそうだし、音もそうだし、自分の中で世界が広がったり、表現方法としては奥が深いんじゃないかなと思った。あとは、自分自身が言語的じゃない。あまり言語で説明するのが得意じゃない。感覚的だから」

冬子2015年にドキュメンタリーのテレビのプロダクションに未経験で就職した。最初はNHKのドキュメンタリーのADをやって、それはそれで面白かったんだけど。型も決まっているじゃない?撮影はこういう風に、紹介するときはこういう角度。ストーリーもだいたい決まっちゃっててあまり面白くないなって」


2014年に冬子さんとJOHNさんは出会った。その頃、JOHNはフリーランスのコマーシャルカメラマンだった。1996年からカメラマンを始めて、今でも時々コマーシャルカメラマンをしている。

JOHN「日本に1週間くらい仕事で来て、その最後の日に冬子と出会った。僕はカリフォルニアのサンフランシスコ セバストポル生まれ。ヒッピーがリタイアしたら行くみたいなところ。2種類の人種がいて、半分はみんなで共同生活しているヒッピー、半分はコンサバな牧場経営者。どっちにも僕ははまらない。そういう葛藤を小さい頃から抱いていた」

JOHN「高校生の時に、カメラを構えれば自分が表現できるんじゃないかって。あとは暗室という逃げ場が欲しかった。火事の現場に勝手にプレスパスを作って行って、現場を撮ったりだとか。火事だけじゃなくて、日常のいろんなことを撮影してた。身近なところを発見するためにカメラという道具を使っていたんだと思う」

2015年の秋に2人の企画が通り、ナカギンカプセルタワーの存続問題と太地町のイルカ漁の問題のドキュメンタリー映像を制作。それ以降、冬子さんは会社を辞め、JOHNさんと共にドキュメンタリーの映像を制作していくことになった。ディレクターは冬子さん、カメラマンはJOHNさん。様々なドキュメンタリーを作成していく中で、ファインダー越しにみる社会的問題や被写体の感情に対し、どのように向き合い、ドキュメンタリーの映像にしているのか。

冬子「映像の中に答えを出そうとはしてない。答えを出すようなドキュメンタリーもあるし、説明的に進めて行くドキュメンタリーや、情報的なドキュメンタリーとかたくさんあるんだけど、私は観ている側が感じ取る方が好き。やっぱり観た人が、自分自身の答えを出してくれるようなそんなドキュメンタリーがいいなって。それぞれの主張や言い分をこっちが決めるのもフェアじゃないなと思う。白黒決められることって、世の中にゼロに近いと思っていて、必ずグレーゾーンがあるじゃない。ドキュメンタリーを撮っていてもこの点に関しては共鳴できるけど、この点は違うと思うということもある。結構こっちが正しいとかそう言う風に思ったりすることはないかな。葛藤はあって、しかも編集しなければいけないから、その葛藤を全部入れることもできない。何かしら恣意的に選んで見せなきゃいけないから、結局私のメッセージが入っちゃうよね。中立にしようと思っても、中立にならないし。そこをちゃんと中立になってるよって言えることが大事なんじゃないかなと思う」

JOHN「ドキュメンタリー作りってそれぞれの作り手がどういうスタイルでどういう目的で作っていくか、全部手入れしていかないといけない。冬子のストーリーの作り方は意図的に曖昧さがある。ドキュメンタリーの中に、彼女は答えを出さない。答えはそこにはない。見る人にそれぞれの答えがある。正しいも間違いもそこにはない」

夫婦で共に仕事をする。仕事をしているときも、家にいるときも。その距離感は一般的な夫婦とは異なる関係性。その夫婦間はいかに?

JOHN「冬子はベストフレンドのような人。結婚したという感じがしない」

冬子「自分が考えていることを言って、言葉にする相手がいるから考えがまとまりやすい。

お互い違う存在なのに、いつも目指しているところ、到達地点が一緒。ジョンのバックグラウンドや能力や考え方も、私と全然違う。でもいつも方向性や落ち合うところが、一致する。それが日常生活のいろんな面で。食べ物の趣味、仕事の方向性、音楽の趣味、美術館に行くことも好きだし。古着屋さん。意外とアウトドアも好きだったり」

自分たちのドキュメンタリーの裾野をを広げるため、最近では自主ドキュメンタリー映画を作ったそうだ。テーマは、鹿児島県悪石島の奇祭にて神役のボゼを演じる青年について。

冬子「ボゼって神なんだけど、向こうの世界からやってくる神、来訪神。日本の特に本土の方は、神って祖先崇拝みたいなのあるじゃない。でも、沖縄に近い方に行くと、向こうの常世からやってくる神っていう考え方があって、海っていうものをつながりのある可能性のあるフィールドとして捉えて、ビーチが玄関口でそこに船を持ってきて、やってくる。それはいいことだよって。やって来るものは神だよ。開放性っていうのかな。島だから狭くて、閉鎖的でって感じなんだけど、考え方としてはくるものは拒まず。それがすごい素晴らしいなと思って。それを見たいねってなって」

冬子「実際に紹介された神役の青年が頭が緑でちょっとシャイな感じの青年だった。撮りたかった青年像とは違うなと。撮影しに行くときに、既存の概念が知らず知らずにのうちにあったんだよね。そんな青年と違う青年を見たときに受け入れられなかったんだけど、青年はもともと引きこもりだったんだけど、島に来て立ち直って、ここまで元気になったんだよって長老の方に話をしてもらったら、それは素晴らしい話だとなって、その青年の物語を作った。ボゼという神と元々引きこもりだった心を閉ざしていた青年が、島の温かさに救われた。ボゼって外から来る神で、それを来るもの拒まずに受け入れる島っていうのがあって。外からやって来て受け入れられて、ボゼと彼が似ているなって。あとはやっぱり意外性。意外性の1つは、島の青年なのに島の青年らしくないとか。そんな意外性はある。そして、そこにはストーリーがある」

BOZE

二人にとって仕事とは何か?

John「仕事をしているとは思わない。メールの返信をしている時くらいかな。常に何かを探しているような、哲学的な問いを続けている。例えばドキュメンタリーのトピックを選ぶときも自分たちにとっていいトピックなのか、それとも主人公にとってこれが世の中に出るのがいいということなのかを問う。自分たちにいいと思っても、自分たちが公開することが主人公に危害が加わらないか、社会にとってはこれはどうかなとか、そんな会話をする。」

冬子「私はコマーシャルをずっとやっている人のように、バジェットとかにあまり関心を持つようなバックグラウンドがなくて、何かしらの意味を自分の中で見出せないと、続かない。自分が意義を持って、健康を保ちながら仕事ができるっていうのは、何かしらの意味を自分に与えてないとできない。世の中には、意味がない重要なことってたくさんあるじゃない。でも、それも全部分かった上で、やりたい。だからやっていることが一見意味がなさそうでも、自分にとっての意味が欲しい。自分にとって意味があることは、人と違う考えかただとか、意外性なもの。意外な発見を提供できることなんじゃないかな。この人がこう言うから意味があるんじゃなくて、自分はここに対してすごく共感するから、ストーリーにする。今までやりたくないと思っているトピックでも、自分が知らないけれど、意外と面白いトピックだったんだって。実はこんなところで類似点があったんだ、とか。そういう気づきみたいなのがあると、嬉しいかな。どんなトピックに出会っても仕事に繋がるっていうのは、私たちの仕事のいいところだと思う」

冬子「ドキュメンタリーってコマーシャルには無い良さがあるから、魂として嬉しいみたいなのはある。ただ物を売っているというよりも実際の人の経験をみんなにシェアするみたいな仕事だから、やっていてやりがいがある。誰かの経験をみんなに伝えることだから、こちらも聞いていて嬉しい」

Ashi Filmsの「Ashi」はパスカルの「人は考える葦」が由来。「人は葦みたいに無力で弱いけれど、コンテンツ制作の会社だから考えたり感じたりすることをシェア出来るのは強み」と語る彼らがこれからしていきたいことは?

JOHN「このまま、まっすぐ続けていきたい」

冬子「私は、納得がいく作品を作ってみたい。まだ納得がいっていない。それはビジュアルだとか、有名なところの会社のためにではなくて、『あっ』という視点があるドキュメンタリーを作りたい。悪い意味で驚かせるのではなくて、こういう考え方があったんだっていう。そういうのが現れるような、これはこのドキュメンタリーを見るまでは絶対わからなかったっていうようなそんな視点がある作品を作りたい」

Gather


みどり荘とは?

JOHN「東京はコミュニティを探すのが難しいと思う。僕たちの生活は本当にみどり荘と密接に関わっている。それはSomething special.

冬子「いいコミュニティだなあと。家族みたいな感じ。多分それぞれの目的とか全然違うからこそ、発見とかインスピレーションが常にあると思う。あとは毎日の小さなことを喜んでいる人たちが多い気がする、みどり荘って。例えば美味しいコーヒーとか一輪の花とかそういう日常の何気ない楽しみとかをちゃんと極めている人がいて、居心地がいい。」



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