COLUMN #24 let's create

Topic: ColumnWritten by shunwakui
2022/1/14
#24 let's create

特に勉強を頑張ってきたわけではないけれど、私にはどうしても遊びが必要なんです。

遊びって聞くとただの遊びで終わってしまいがちですが、実際遊びを真剣にやっていると何か拓ける時(悟りではない)があって、これが「あそび(余白)」なのかと感じることが多々あります。その遊びが上達して、考える隙間ができ、振り返り、近道じゃなく遠回りをして発見があったり。真面目なのもいいけれど、詰めてばかりじゃ何も見えなくなってしまう。たくさん働いた分、たくさん遊ぶ、どっちが大切とかではなくて自分の中でバランスをとっていくこと。遊びすぎたらその分働けばよくて、その逆もしかり。

去年の元旦には都内8箇所の神社を自転車で巡りました。思い立ったが吉日。今思い返すとそこから遊びの予兆があったのかもしれません。真面目の中に遊ぶ。2021年は良く遊んだ年だったなと思います。夏には多くの山に登りました。比較的多く訪れたのは長野アルプス山脈付近、燕岳、赤岳、黒百合。関東周辺は大菩薩嶺や丹沢、もちろん高尾山も。大人になってからの山は幾分久しぶりで登山の魅力にどっぷりと浸かってしまいました。

それは12日で味わえる達成感や疲労による高揚。地面を踏みしめる音、ダイレクトな陽射しに焼ける肌、急勾配な道に剥き出しの木の根、湿った苔に冷たい岩、雲海の下に見え隠れする遠くひかる町。特に美しいなと思うのが紺よりも黒い勝色の中にみえる山稜です。山と山との奥行きがなくなり稜線が重なり合う、ひとつの大きな波に見える時。夕方でも夜でもない彼誰時。曖昧なのに存在は明瞭でその優秀さに少し悔しい気持ちになります。

そんなエモーショナルな気持ちがうまれるのも遊びという行動から発生するあそび(余白)のおかげで。むしろその「あそび=余白」を発生させるために遊んでいるのかもと最近はそう考えています。斯くして、私はこの妄想癖から抜け出せず、くだらなさ、しょうもなさ、てきとうさが溢れ出し「あそび」を仕事に職場に友人たちへ持ち込んでは「まったくもう」と言われてしまう。その「もう」の部分に人々の余白をかんじ申し訳ない気持ちと共にうれしさが込み上げます。

沢山の遊びがあそびを呼ぶそんな一年になればいいなと思います。こころの余白がここちよい。

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