COLUMN #45 in between

Topic: ColumnWritten by Yuko Nakayama
2022/6/17
#45 in between

「私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない」。アメリカ・アラスカの地で写真家、冒険家、詩人として長い時間を過ごした星野道夫のエッセイ『旅をする木』にある「もう一つの時間」と言う一編に出てくる言葉だ。東京であくせく働く女性が星野とともにアラスカの旅に出かけた際に、海から突然ダイナミックに飛び上がってきたクジラを目の当たりにし、帰国後その光景を時々思い出すという話を手紙で星野に伝えている。

私たちの日常とはまた違う時間の流れがこの世界には数多く存在していることを、星野は「もう一つの時間」と捉え、「日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい。」と語っている。初めてこの本を手に取ったのは、大学のある授業の課題図書として。読んでから10年以上の年月が経つが、今でも星野が語る言葉の端々が頭に焼き付いている。

朝起きてから、仕事場であるMIDORI.soに行き、家に帰る生活を続ける中で、多くの人と出会い、話し、笑い、毎日なんだかんだ楽しく働いている。このような毎日の中でも自分を客観視できる「もう一つの時間」を、時々でもいいから意識したい。自分が生きている世界は、今目の前にあるものだけでなく、自分が意識している以上に大きく広いということ。その世界の中に自分が存在していることを認識することで、漠然とではあるが、心が落ち着く気がする。

私が思う「もう一つの時間」は、例えば旅先で出会った滋賀県余呉湖で夕日に照らされ黄金に輝く田んぼ越しに見つめた湖畔の波や、京都の下鴨神社にある糺の森の小川でただただ優美に佇む一匹のサギ、誰が世話をするわけでもなく岸壁にたくましく美しく、南伊豆の海の風に揺れる紫陽花など。今まで生きてきた中で目にしてきた多くの景色は、私たちに「もう一つの時間」が流れていることを教えてくれる。それを日々の生活の中で意識出来るのと出来ないのとでは、星野の言う通り天と地の差ほの違いがあり、それはその人となりに滲み出て、生き方や働き方に現れていくんだと思う。

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