COLUMN #205 狂気と正気の交差点

Topic: ColumnWritten by rina tanaka
2025/10/10
205

ある日のこと、茨城に住む友人から「でっかい舞台つくらない?」と連絡をもらった。


茨城の西塩子という地域では、3年に1度、竹や木を切り出して大きな舞台を作り、1日限りの歌舞伎を上演、終わったら潔く更地に戻すという伝統があるらしい。現存する日本最古の「組立式農村歌舞伎舞台」という文化財だ。


1日のためにでっかい舞台を作って壊すなんて正気じゃない!面白そう!と飛びつき、数日間作業を手伝わせてもらうこととなった。


土木や木工はもちろん、そもそも木や竹にもほぼ触れたことがない。何か出来ることがあるだろうかと不安になりながら服装も持ち物も見様見真似で揃えて向かう。庭師の友人に「サンダルはやばいよ」という助言をもらい、どうやばいのか分からないまま足袋型の作業靴をホームセンターで買った。職人みたいな形がかわいい。


作業してる人はベテランのおじさんからボランティアまで20人ほどいた。みんなで竹を200本くらい切り出してきて(竹って重い!)、ナタで綺麗に節を取る。竹をしならせて屋根にすることで、自然にドームのような造形になるらしい。一つ一つの作業は派手ではないが、数日間であっという間に基本となる材料が集まり骨子が建てられた。更地から、たった3日で現れた大きな舞台の原型を見上げながら思う。


たった1日のために3ヶ月かけて作るのかあ。これたった1日で壊しちゃうのかあ!作業をすればするほどもったいなく思えてくる。だがそこにも理由があるのだ。自然の恩恵への感謝と資源活用のため、竹などの資材はすべて売り払う。


なんと無駄に贅沢で、そして無駄がないのだろう。その潔さに透ける自然への敬意が美しい。


作業する仲間たちには色んな人がいた。熱血祭男!みたいな人たちを想像していたが、私含めそこには良い意味で「なんとなく」惹かれて来た人ばっかりだった。


中学校の情報の先生、ずっとその場所に住んでいる読書家のおじいちゃん、もう何回も組み立てたことがあるベテランおじさん、元自衛隊のものづくり好きの人、茨城大学の学生さん、なんか面白そうだなと記録係を買って出たライターさん、みんななんとなく巻き込まれて、ここに辿り着き汗まみれで今、竹の節をとっている。竹の節の取り方を教えてくれたおじいちゃんは、戦時中に習った竹槍の作り方を教えてくれた。


ここに来た人は「ただ面白そうだから」「ただやりたいから」やっているのだ。みんなで解けない縄の結び方を覚えたり竹や縄を切りながら、静かに、だが確かにその瞬間に熱狂している。


淡々と竹の節を取りながら、引き継がれていくことについて考えた。

伝統は最終的に、正当な評価によって残されていくのではなく、直感と狂気によって常にハプニング的に引き継がれていくのかもしれない。正気じゃないから熱狂が生まれ続けるし、正気じゃないものは必ず正気な人に見つけてもらえる。


柳田國男の「伝統は静的なものではなく常に変化し続ける動的なプロセスである」という話を思い出した。文化は必ず身体性を伴うものであり、そこから生まれる直感的な熱狂からくる狂気、それを評価し継続に尽力する正気、これが合わさった時、伝統は続いていくのだろう。「なんとなく」面白いから集まる人と、それを残そうと頭を使う人、どちらが欠けても伝統は継承されないのだ。


伝統なんて大袈裟にしなくても、身の回りにある残したいもの、好きなものはたくさんある。狂気か正気か、どちらかを持つ人でありたいなと、そしてそのどちらも愛そうと決めた週末だった。

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