COLUMN #204 齢三十一。生まれてこの方、ずっと反抗期

両親はとても善良な市民で、まちがっても毒親と呼ばれる類の人たちではない。何かがおかしいのは私のほうかもな、とようやく思いはじめたのはここ数年の話。
ずっと親の言うことを聞かなかった。彼らも、我が子が自分たちの言葉を受け入れることはないのだと、早々に諦めていたように思う。 ただ、私自身も年齢を重ねて、思うところがないわけではない、という心境にはなってきた。 会うたびになんだか小さくなったように見える両親に対し、昔のように横暴な態度をとるのも少し心が痛む。
そんな少しだけオトナになった私ができうる限りの親孝行として選んだことがある。 それは「母が作ったものを身に着ける」ということ。
母は、私が小さなころからハンドメイド作家として活動している。 今はもう還暦に近いはずだが、年に1~2回は小さな個展を開くなど、老眼をなだめつつ精力的に続けているそうだ。
母の着せ替え人形だった幼少期の私は、彼女が作った服をよく着ていた。服だけでなく、バッグも、小物も、アクセサリーも、なんでも作ってくれた。 なんなら、日々のご飯ですら皆が知っている定番メニューではなく、なんだかよくわからない創作料理が出てくることも多く、父とはよく一緒に困惑したものだ。
時は流れ、社会人になった私は、ある日ふと気がついた。 大企業が性に合わず、ベンチャー企業に転職し、のびのびと働いていたころ「すべてが準備されていないと、そして正解がないと、何もできない・したくない」と嘆く、それなりの数の人たちに出会った。
それ自体をとがめるつもりはまるでないが、彼らがベンチャー企業での働き方に苦労しているのを見て「あぁ、こうやってのびのびと生きられているのは母のおかげなのだ」と悟ったのだ。
キャッチフレーズをつけるならば「なければ作ればいいじゃない」になるような彼女からは、自分でなんとか作り出す、よりよくする、切り抜ける、そんな姿勢を自然と学んでいたのかも。 この話を母の前でポロっとこぼした日、彼女は泣いていた。相当な苦労をかけたようだ。ゴメンネ。
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最近の私はというと、フリーランスになってから毎日持ち歩く荷物が圧倒的に増え、半年以上経っても通勤バッグがしっくり来ずにとっかえひっかえしている。
いよいよ「も~~!こんなにこの世の中に欲しいものがないなら、作ればいいじゃない!」と母を召喚。おそらく来月には、母が作ったPC用のバッグで通勤することになりそうだ。 ちなみに今使っている名刺入れも母のお手製である。ちょっと革が固くて正直使いづらいのだが、それも含めてなんとなく気に入っている。
こう書くと「実はお母さんのこと好きじゃん」なんて思われるかもしれないが、実際はここ数年でようやく目を見て話せるようになったくらいだ。仲良し親子には程遠い。
ただ、こんなふうに欲しいものをすぐに作ってもらえる時間も、そう長くはないはず。
反抗期はまだ終わらないけれど、自分なりに見つけた親孝行で、細くとも長く繋がっていけたらと思う。
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