COLUMN #201 変わるものの中に宿る変わらないもの

父はかれこれ10年以上、糠漬けを漬け続けている。朝になると台所に立ち静かに糠床をかき混ぜる。その姿は季節がいくつ巡っても変わらず、わが家の朝の風景としてすっかり定着している。
けれど、糠床そのものは常に変化している。混ぜる手の温度や湿度、前日に入れた野菜の水分量ーーそんな些細な条件の違いによって、発酵の進み具合も味わいも日々少しずつ変わっていく。昨日の味と今日の味は違うし、明日はまた別の表情を見せるだろう。
それでも、あの糠床には「変わらないもの」が存在しているように思う。
変化し続けるその中に父が変わらず手をかけ続けるという習慣が、静かに息づいている。
子どもの頃は糠の匂いが部屋を漂うたび、思わず顔をしかめたし、糠漬けの味もあまり好きではなかった。けれど今では、帰省してあの匂いがふわりと漂ってくると、不思議と安心する。父がこの家にいて、今日もいつものように手を動かし続けていることを思い出させてくれる。
今年の春、大学を卒業して社会人になった私は今、新しい暮らしの中にいる。
毎日がめまぐるしく刺激的だけど、気づけばあっという間に時間が過ぎていく。
「変わること」が前提のような日々。変化についていかなければ取り残される。そんな焦りすら感じることもある。でも、変わるものばかりに囲まれていると、ふと、自分がどこに立っているのかわからなくなる瞬間がある。
そんな時、父の糠床のことを思い出す。日々変化するものと向き合いながら、変わらず続けていること。その営みの中には、時間や環境に左右されない何かが確かにあるように思う。もしかすると私の暮らしの中にも、はっきりした形や習慣ではないけれど、呼吸のように自然に、いつの間にか続いている「変わらないもの」が静かに息づいているのかもしれない。
父の糠漬けは、これからも少しずつ味を変えながら、変わらず台所に居続けるのだろう。
そして、私はきっと、変化の中で立ち止まりそうになるたびに、その存在を思い出すのだ。
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