COLUMN #194 Road to "IKI"

Topic: ColumnWritten by Saburo Tanaka
2025/7/18
194

入りも明けもわからないような、もはやあったかどうかも定かではない梅雨をすぎて今年もビーチボーイズ(CX)な季節がやってきた。私は国見比呂(H2 − あだち充)くらい暑ければ暑いほど調子がいいので1年の中でこの季節がぶっちぎりで好きだ。


こちらのコラムで以前にも書かせてもらったことがあるが、私は老舗酒場バカ兼瓶ビールバカである。ルービーが最も喉を叩いてくれる季節が夏であることには、異論はないであろう。汗として吹き出した身体中の水分を補充するべく放り込んだビールのうまさは筆舌に尽くしがたいものがある。


私の誕生日もまた夏の日に来る。 気がつけば長嶋茂雄氏(R.I.P.)の現役引退時と同じ年齢を数えるようになる今シーズン、密かに取り組もうと思っていることがある(言うてもうてるけど)。それは「夏に燗酒を呑る」ということ。キンキンに冷えた黄金色の液体がもてはやされる季節に、あえて燗をつけるという行為には、ちょっとした気概と静かな色気があると考えている。


九鬼周造は『「いき」の構造』の中で「いき」とは「意気地」と「諦念」と「媚態」の交差であると説いた。欲を押しつけず、無理に抗わず、どこか余裕と艶を忍ばせること。自分の美意識に従い、心地よさを丁寧に選ぶこと。その佇まいに、かつての江戸人は美しさを見出した。


「夏に燗酒を呑る」という仕草は、このを体現しているように思う。暑い日に燗したものをいただくという自分に対する忠実さは「意気地」そのもの。急がず、身をゆだねて湯煎を待つことでできるには、流れを受け入れる「諦念」が宿る。他者との距離感を心得た手酌の所作から漂う色気や艶には「媚態」がふっと滲んでいる。


神楽坂の路地裏に昭和十年代創業の「伊勢藤」という酒場がある。縄のれんをくぐり木戸を押して中へ入ると「希静」(「静けさを願う」の意)と記された書が掲げられている。飲み物は「白鷹」の上撰オンリー。ソフトドリンクはおろか、ビールさえない。照明は極端に抑えられ、囲炉裏を囲む木のカウンターに歴代の黒帯の時間が沈んでいる。酒は冷やか燗。燗を選び、ぬる燗・上燗・熱燗など好みを伝えると、囲炉裏前に正座する作務衣姿の店主が丁寧につけてくれる。肴は極限まで絞られており、酒に寄り添うように慎ましい。目の前の一盃と向き合うためだけの酒場だ。


こんな名店で粋がる。また、自宅でも燗をつけてセルフで悦に入る。コトもモノも超速で消費される現代において、誰にも踏み込まれたくない領域を隠し持っておきたい(言うてもうてるけど)。人生39回目の夏(生まれた年の夏含む)はそんな下地を仕込んでいこうと思う。


10年ほど前に同じ論理で「夏におでんは粋」というのをやってみたけど、暑くてすぐやめたのはまた別のお話。

MIDORI.so Newsletter: