COLUMN #189 夏が来る

6月に入り、7月が近づいてくると、毎年ワクワクしてくる。
「いよいよ今年も来るね、夏!」という気持ちになるのは、なんといっても太鼓の練習が始まるからだ。暑さは正直苦手。でも、太鼓があるからこそ、私は夏が待ち遠しくなる。
何を隠そう私は4歳の頃から盆踊りの太鼓を叩いてきたのだ。太鼓にも色々な種類があり、私が叩いているのは「納涼太鼓」と呼ぶ。どんなきっかけで始めたのかは思い出せない。でも大学受験の年と2度の妊娠期を除いて、36年間、ほぼ毎年、盆踊りの中心にある櫓(やぐら)に登って叩き続けている。私にとって、とても大切な夏の恒例行事なのだ。
私の生まれ育った下町には、神輿や祭りの文化が息づいていた。父は町会や地元の活動に自然と関わり、神輿の会の会長も務めていた。父、私、妹、弟は太鼓を叩き、母は毎年カメラ担当(といっても、かなりの下手っぴ)。一昨年からは、娘、息子、甥っ子も太鼓を叩くようになり、今では3世代そろって櫓に立っている。
盆踊りは奥が深い。
いろんな奥深さがあるが、師匠の言葉である「音頭取り、踊り手さんの、為に在り」は、思春期のただの目立ちたがり屋だった私にはこの言葉の本当の意味がすぐには理解できなかった。でも、20年叩き続けるうちにようやくわかってきた。太鼓は目立つために叩くのではなく、踊り手さんが気持ちよく踊れるように、リズムを取るために叩くのだ。この意味を理解してからは、仕事をしていても音頭取りを意識している。
私たち家族の太鼓の話は尽きない。上手い下手を真剣に語り合ったり、お互いの得意な技を認め合ったり「盆踊り」という共通の楽しみを持っている。
これは親バカになってしまうが、娘と息子が太鼓サラブレットであることは間違いなく、そんな彼らの母である私は、彼らが1曲叩くたびに涙が込み上げる。この先、あと何回、彼らと一緒に櫓に登れるだろうか。
毎年6・7・8月は、私の人生にとってとても尊く儚い大切な3ヶ月だ。
さあ、今年も夏が来る。
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