COLUMN #143 くだらない話の流儀

Topic: ColumnWritten by sayoko kawai
2024/6/28
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みんなで会話をしながら抱腹絶倒することが、私にとっては本当に幸せな瞬間だ。涙が出るくらい笑ったり、立ち話がとまらなくて、このままファミレス行っちゃう?とか、気がついたらてっぺん超えてた!とか。脱線に次ぐ脱線は、元々の筋からずいぶん離れても、最初に誰も想像し得なかった新しい領域につれていってくれる、一方で、二つ手前の会話の内容は記憶になかったりする。良質なくだらない話を数時間しまくるという状態はどういう仕組みで発生するのだろう。ということで、個人的に分析をしてみる。


1つは、心理的安全性。適当なことを、思いつくまま口に出すというのは、自分もオープンであり相手もオープンでないと実現できない。もう1つは、会話をよく聞いていること。自分の話を一方的にするのではなく、その場の、ノリやリズムなど、一種のグルーヴ感が必要である。さらに、話の切り口をいろんな角度から捉えると尚更発展しやすい。みんな自分の感性と会話を照らし合わせながら会話に熱中していくと、想像しえない方向に転がっていく。


コミュニティオーガナイザーの澤くんは、「脊髄反射で会話する」という表現をしていた。「会話の目的」から離れて、感覚やリズムで会話をする。相手がどう思うかを気にしない、反射で会話をするということだと解釈した。先日は、仲間と「もしもワイナリーを作ったら」という話で散々盛り上がった。小ロット生産でブランド名は「俺の血」。荊棘のかんむりとケープを着た男性が十字架を背負ってご当地マラソン大会でランナーとしてPRキャンペーンを行うアイデア。こうして、文章で書くとなにひとつ面白くもない。今思えばセンスもないし少し恥ずかしい。なんでそんな話になったのかも記憶にない。でも、あの時一緒にいたメンバーはお腹を抱えて笑いながらそれぞれのアイデアを出し合っていたし、だれひとりとしてポジショントークはなく、純粋に会話に集中していたと思う。あの場のライブ感こそかけがえのないものだ。


対話といわれるじっくり相手に向き合うコミュニケーションも好きだが、人と人との間で生き物のように会話を育てるのも好きだ。自分の糧になるかならないかの判断をあえてしないで、その空気を楽しむこと。「異常に盛り上がる」会話は、他人と自分のナラティブを消してシンプルに目の前に現れた話題に夢中になると起こる現象なのかもしれない。

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