COLUMN #138 毎日が下書き保存のままになっていたのかもって話

Topic: ColumnWritten by Michiru Ikari
2024/5/24
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カレンダーや手帳が上手に使えたためしがない。でも文房具は大好きだから、手帳を手に入れては、時々ページをめくってうっとり眺めて、鞄の奥のポケットに入れておいたり、本棚に大切に仕舞い込んだりしていた。お気に入りのデザインの手帳を書き損じて自ら汚していくのがすごく嫌だったからである。字が驚異的に下手だし、しょっちゅう漢字を間違えるから、手帳というのは自分に向いていないと思った。今やもう、スケジュールは全部Googleカレンダーへ。メモはiPhoneのプリセットアプリに。変更や削除はいとも簡単、データはデバイス間で自動共有される。なんて便利なのだろう。


そして先日、自分でもびっくりすることが起こった。


ここ数年通っている病院の通院日や結果を一覧化したいと思ったときのこと。前述のアプリで、自分の思い通りに表示させることができなかった。使えそうなアプリをApp Storeで探してみたが、私のニーズがニッチすぎて、見つからないし、多分存在しないと思う。既存のアプリを工夫するのもできるんだろうけど、難しくてできなかった。そんな時に、ミッドタウン八重洲のスタロジーで365デイズノートを衝動買いしてしまった。日記や手帳として自由に書き込めるというコンセプトの紙のノートだ。そもそも、友人の息子の中学入学祝いを買いに行ったはずが、30分も商品を眺めたのち「最近の子はデジタルだよね」と店頭で完全に自信を喪失し、これは自分も当てはまるのに、この私が自分のために買うという全く意味の分からないことをしてしまったのである。。


家に帰り、付録のフォーマットの下敷き(本来の使い方ではないが)を使って、書いてみた。書くというよりは「清書する」感覚に近いものだった。情報は思い通りにまとまったし、それだけでなく「これだ!」という猛烈な感覚を得た。あんなに毛嫌いしていたアウトプット形式だというのに。


アプリのカレンダーやメモの情報は、いつでも容易に変更できてしまう。要は下書き状態だ。実は、自分がデジタルのカレンダーやメモを使う時、ひとつひとつの決定を先送りしている感覚なのだということに気付いた。先送りどころか、お蔵入りすらしていた。今回この紙のノートにペンで書き込んだことで、過ぎ去ったひとつひとつの毎日が、仮のものではなくなってくれた。とても清々しかった。病院通いのちょっと辛い時期のことも、やっと向き合うことができた。


自分のこれまでの人生で、目の前の事実や、自分の気持ちすら、いつも一旦下書きに入れて、ときには消したり、跡形もなく改変してきたりしたのだと思う。そんなことを続けていたら、意思の曖昧な、自分そのものが「下書き」みたいになっていた。これは過去の自分の生存戦略だったかもしれない。でも、もうそんなことをしなくて良くなった。長年直視できなかったことから開放されるヒントが見つかった。


これからもGoogleカレンダーとiPhoneのメモにはお世話になり続けるし、未来の予定を紙に書くのは御免だが、過ぎていったことこそ、こうやって紙に書いてみようと思う。あとは、字が下手すぎて大人として恥ずかしいので、練習して上達したい。


あまりにも些細なことですごく恥ずかしいけど、最近こんな小さな決心をしたのだという話でした。

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