COLUMN #134 マナザシ

Topic: ColumnWritten by Tamao Yamada
2024/4/26
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半年程前からしばらく手放していたカメラをふとした気持ちでまたはじめることにした。部屋の隅に置きっぱなしになっていた使い込まれたCanonAV-1が、なんの違和感もなく手に馴染み、私はあまりにも自然にシャッターを押すことができたので、なんだかきょとんとしてしまった。と同時に、写真を純粋に楽しんでいた頃を思い出して、明るい気持ちになった。


今のわたしにとって写真を撮るということは、自己表現というほど輪郭を持った行為ではなく、かといって日常的な行為でもなく、お出かけ前の身支度をしている時のようなちょっとしたそわそわに似た感じがある。携帯でも写真を撮る習慣があまりない私はカメラを持つということ自体に浮き足立っているのか、何かにレンズを向けるということ自体に慣れていないだけなのか。ともあれ、あくまで一生活者として、家の中でカメラを持ったり持たなかったりして暮らしている。


部屋から見えるご近所さん家までの細道、縁側に差し込む昼光、ちぐはぐに並ぶ洗濯物、絵を描く同居人、机に溢れた花びら...。いつの間にか景色となっていた毎日の色々な瞬間を切り取りたい衝動に駆られている自分に気がついた。生活という一番身近な場所で、何かを見い出そうとしている自分。撮った写真を見返すと、わたしはこんな風に世界を見つめているんだと驚く。


まだ言葉になっていなくてもあの時確かに感じていた何かを、写真を通して認識することがある。時間の経過があるからこそ気づくことができた感情や、いつの間にか愛着を持ち始めているものがある。上手に撮れているかどうかはさておき、言葉になる前の世界をどう眼差すか、どんな風に世界を見つめるかによって、世界はいくらでも面白くなるんだと思うと嬉しくなった。


ああこれは働くことも同じだな。デスクリサーチをする時、インタビューをする時、記事を書く時、分かりやすく示された何かに飛びついてしまいそうになるけれど、いつだって言葉より手前にある人それぞれが思いを宿す愛しいものたちを、まずはこの眼にきちんと映していたい。そしてそれが、より多くの人へ届く可能性を秘めているという世界の壮大さに、胸をどくどくと鳴らし続けていたい。

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