COLUMN #13 trick or treat (copy 01)

誰がゴミを拾うのか?
私事で恐縮ですが、僕は約24年前に九州の福岡から20歳で東京に出てきました。最初の東京の印象はカオスそのもので、上京して一番最初に住んだのは国分寺市の恋ヶ窪というロマンチックな名前のエリアで、そこで実際いろんな恋が生まれては消えていったわけですが、新宿から中央線に乗って西へ向かう車窓の向こう側は、統一感のない建物が延々と続いて、いつまで経っても景色が変わらないし、駅前には百貨店とスーパーとパチンコ屋と居酒屋と食堂と風俗店が同じエリアに無秩序に密集していて「これが東京か」と、とても衝撃を受けたのを覚えています。(後になって、それは中央線だからだと気がつきました。)
そして国分寺の次は相模原、仙川、八幡山、浅草、代官山、原宿、初台、烏山、大蔵、祖師谷、そして東京の西の果てにある檜原村に流れ着くまで、約20年で11の街に移り住んできました。しかし振り返ると、本当にそれらの街に「住んだ」と言えるのか、非常に疑問です。いま思えば、ただ食べて寝てクソしてゴミを出していただけだと言ってもいい。自分のことしかやっていませんでした。街のことを何も考えてなかったし、街のために何かをしたことは一度もありませんでした。住民税は滞納しながらもなんとか払ってましたが、隣近所の人と声を交わすこともなかったし、自治会にも入っていなかったし、街の中に自分の役割は何もありませんでした。
もうすぐハロウィンがやってきますが、毎年ニュースで取り上げられる渋谷のスクランブル交差点でゴミと騒音を撒き散らす荒くれ者たちは、渋谷に住んでいません。夏になると自邸すぐそばの秋川上流の河原で爆音鳴らして酒飲んで騒いで肉焼いてゴミを散らかす人たちは、檜原村に住んでいません。そこに残されたゴミは誰が拾うのか? それはその街に住んで仕事したり生活したり、その街のことを大事に思っている人たちです。自分の街だと思ってない人たちが、その街を汚すのです。1999年に"悪そうな奴は大体友達"とラップしていたZEEBRAさんが、渋谷で「街のために」と最初にやったのが朝のゴミ拾いだったことを思い出します。
「ゴミを拾う」という行為は、その地域のローカルコミュニティに自分が属しているという1つの証明にもなります。そして、そのようなローカルは田舎だけにあるのではなく、都会の中にもあるということです。逆に、二拠点生活や他拠点生活が最近もてはやされていますが、ただ田舎に物件を借りたり買うだけではローカルコミュニティに入っていくことはできません。新しい街に入るとき、その場所と新たに関係を結ぼうとするとき、まずはゴミ拾いからやってみるのもいいのかなと思いますが、いかがでしょうか。
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