COLUMN #121 トキワ荘、MIDORI.so

MIDORI.soを始めるときに、色々かんがえましたが、その中でパリでピエールシャロウが作ったMaison de Verreという建物にまず目が行きました。直訳すると、緑の家。1920年ごろから窓を広くとって、光をいっぱい入れて改装した建物。それと、豊島区椎名町のトキワ荘という建物でした。こちらは手塚治虫や赤塚不二夫や藤子不二雄など日本の漫画家がいたシェアハウスでした。この二つを意識して、MIDORI.soと名付けました。
トキワ荘があったおかげで、日本の漫画文化が花咲きました。手塚治虫は元々は四ツ谷に事務所を構えたのですが、あまりに忙しくなったので、編集者が来すぎてうるさいと大家さんに言われたので椎名町に当時新しく建った木造アパートに入居したようです。トキワ荘には当時「漫画少年」の寺田ヒロオが担当していた投稿欄漫画通信簿の中で優秀な成績を収めている新人漫画家を入居させて、新人漫画家同士で励ましあって切磋琢磨できる環境をつくるという描き手側の利害があったと言われています。そこでは協調性があり、最低限のプロのアシスタントが勤まったり、本当に良い漫画を描きたいという強い意志を持っていること。などが条件で人が集まってきたようです。ここではアシスタントは掛け持ちでいろいろな漫画家の先生に仕えて、それ自体が勉強になり自分の漫画の参考にしたようです。
外国人の中には日本の漫画に影響を受けて日本が好きになったり、日本文化に興味を持つたりする人が多いようです。トキワ荘があったからこそ日本に興味がわいたという人が増えたのです。そこでは、みんな合宿のように暮らして、いわゆる同じ釜の飯を食べ、笑い、話し、働く、環境だったようです。
目黒区青葉台で蔦に覆われた古いビルには誰もいなくて放置されていました。そこで当時、Independent think tankを作ろうとしていた僕らはこの蔦で覆われたビルを風変わりなオーナーから借り受けて今でいうシェアオフィスを作ったというわけです。そこでは新しく事業を始めたり、社会を変えようという志を持った全ての人の働く場所にすべくMIDORI.soを作ったわけです。元々僕らはイデーという家具を中心にデザインや建築や都市を考える会社をやっていましたので、今後はよりクリエイティブな方向に向かうべく工房やワークショップも備えたMIDORI.soにしていきたいと考えていますし、外国人が日本で働きやすいようにしたいとも考えています。
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