COLUMN #115 すてきな役立たず

「誰かの役に立ちたい」
私にはそんな思いが物心ついたころからありました。これは特別なことではなく、きっと誰しも多かれ少なかれあったのではないでしょうか。
友達や家族にしてあげたことが思いのほか喜んでもらえたことや、親からの「誰かの役に立つ人間になりなさい」そんな言葉がきっかけだった気がします。
しかしその思いは、いつの間にか「役に立たなくちゃいけない」というおかしなプレッシャーに変わっていき、自分を犠牲にしてでも人の役に立たなければいけないという考えが呪いのように私の心の奥深くに育っていってしまったのです。
そして色んな経験をしていくうちに、最終的には「役立たずと思われたくない」という恐れに変化してしまい、本来の「誰かの役に立ちたい」という思いが、いつのまにか重たい鎖のように感じられるようになってしまいました。
「役に立たなくちゃ」「役立たずと思われたくない」そういう矛盾した気持ちを抱えて生きるのは、なかなかしんどいものです。
そんなわたしの心を軽くしてくれたのが、ある日、友達がすすめてくれた一冊の本。山崎ナオコーラさんの「鞠子はすてきな役立たず」という本です。タイトルにある「すてきな」という言葉が、普段なら拒絶反応を示す「役立たず」という言葉を、とても温かみのあるものに変えてくれたのです。
作品に登場する夫婦・小太郎と鞠子は、当初まるで価値観が違います。小太郎は親から「働かざるもの食うべからず」と育てられ、本人もそう思っています。一方、鞠子は大学院で平安文学を勉強したあとは、就職せず専業主婦になることを希望し、趣味に生きる生活を始めます。
冒頭、鞠子が「どんな種類の野菜でもいいから、何かしら、いびつな野菜を買って帰ってくれたら嬉しい」と小太郎に頼むところから物語は始まります。鞠子が始めた趣味は絵手紙です。「カルチャーセンターでやっているサークルに行ったら?」「きちんと教えてもらった方がいいんじゃない?」そうアドバイスする小太郎に対し、鞠子は「楽しくやることだけに集中したい」と返します。
「努力の先に何があるわけでもないのがいい。上を目指さない。競争をしない。そこが素敵だな、と思ったの」
この本では「働かない」といった新しい選択肢も描かれています。「働かざるもの、食うべからず」「労働は尊い」といった通念に対し、「働きたくても働けない人」がいます。家事は仕事だが「稼いでいる」とはいえない。「役に立つ」とはどういうことか。
一方、「趣味」は仕事と違って、「自己満足」しか求めていません。だから、他の人と比べてがんばっているとか、ちゃんとやっているとか、そういう価値観が通用しない。お金のため、生活のため、生きるため、そういう目的を設定しないで趣味を楽しむことこそ王道ということになリます。
「自立に美しい立ち方があるように、他立にも美しい立ち方があるのかもしれない」
鞠子の母・アンナさんが、鞠子と小太郎に言うセリフです。
日本は超高齢化社会となり、働くことが生活のメインである人はどんどん減っていきます。
これからは人間に替わりAIが「生産的」な仕事をやってくれるでしょう。いま自立している人が、いつまでも自立できるとは限らない。社会人というのは働いている人だけを差している言葉に聞こえがちですが、もっと広い意味なのかもしれません。
この本を読んだ後、私は「役立たずでもいいじゃないか、もっと自分らしくいよう」と思えるようになりました。
そして最近、MIDORI.so主催の『就職(してもしなくてもいい)相談会2023』のトークセッションで耳にした「これからは見過ごされがちなものの価値が見直される」といった言葉も、私の新たなる思いを強く後押ししてくれました。
意味がないとされがちなことでも、楽しいだけでやっていたらそれがいつか誰かにいい影響を与えることもあるかもしれない。もちろん無いかもしれない。これからは何かの役に立つかなんて考え過ぎず、子どもの頃のようにシンプルに「楽しい」「もっとやりたい」だけで飛び込んでいこうと思います。もっと肩の力を抜いて、ゆったりと。
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