COLUMN #106 余白

私は、プライベートではボーッと1日中YouTubeを見たり、ゴロゴロしていたりと無感情に日常を過ごしています。ですが、先日伺った奄美大島の滞在中は、海を見ているだけでも心が満たされる感覚がありました。それは奄美そのものの魅力が一番の理由ですが、デジタルデトックスされ感情・感性に”余白”が生じ、普段以上に感動している事に集中できていたからだと思います。そして、それは心だけでなく、体も同じだなと思う事がありました。
私は以前、糖質オフダイエットをした事があり、糖質を抜いていた時はプレーンのヨーグルトですらとても甘く感じ、糖度の高いフルーツジュースを口にした時には、頭の中で「パーン!!」と弾けるような衝撃が走り、甘みとは刺激なのだなと知りました。この2つの体験から、現代人は五感に、ギュウギュウに色々な情報を日常的に詰め込んでいる事に気付きました。
話は少し変わりますが戦国時代、茶道は無くてはならない文化になっていきました。それは一流の武将のたしなみであった事や、選ばれた人間にしか参加することの出来ないお茶会などがブランディングを確立したのですが、茶人の空間の演出やオモテナシは、生きるか死ぬかの緊張感に晒された”もののふ”に、想像出来ないうような感動を与えていたに違いありません。何よりPCもスマホも無い粗食がメインのこの時代では、お抹茶のカフェインも敏感に感じ、癒しと刺激の相乗効果は計り知れないものだったはずです。またこの鋭敏な感覚やピュアな体を持っていないと、千利休を初めとした先人たちの真の想いを受け取りきれないのだなとも思います。また逆説的に、茶道が刺激に溢れた現代において未だに至高なのはこういった辿り着けない境地への憧れもあるのかもしれません。
しかし、文明を捨てることは現代社会においてもう不可能に近いと思います。なので休日や旅行する時に余白を意識して過ごし、ひとつでも日常の感動を増やす。それだけでも十分のように思います。そして僕の働くMIDORI.soは、仕事をする場所でありながら、余白が沢山あり不思議な場所だなと常々思う事があります。もしMIDORI.soの良さのひとつにそれ(余白)があるのであれば、僕はメンバーに対してくだらない世間話で仕事と仕事の合間の余白を生み出せればなあ、なんて思ったりもします。
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