COLUMN #20 unknown world

Topic: ColumnWritten by Masatoshi Sawa
2021/12/17
#20 unknown world

世の中は未知と既知の2種類で、いかに未知のものを減らすか。人生はその目的の為だけにあるように思えますが、年齢を重ね多少知識が増えると、今度は知らない事に出会い、「知らない」を「知る」という事に面白さを感じます。

23歳の時、インテリアや雑貨が好きだったので、販売という仕事を選びました。世の中の良いモノを知る事が自分の欲求を満たす事だったので、その選択は極めて自然でした。ただ、幼い頃からの天邪鬼が、一般的に人気のあるアパレルやカジュアルなインテリアの道を進むことを許しませんでした。どんなお店で働くか...。答えを出せないまま悩み続けていた時、ある出会いをキッカケにその指針を決めることになりました。その出会いとは2000年代後半に少しずつブームになり始めた「民藝」というジャンルでした。

民藝とは、大正から昭和にかけて柳宗悦をはじめとした思想家や工芸作家が興した民藝運動という活動から生まれた考えです。当時、地方の名もなき職人がつくる工芸品は「下手物」と呼ばれ、価値を感じる人はいませんでした。しかし柳は、無作為に作られ使い易さと作り易さに特化した下手物のカタチに「用の美」を見出し、それを至上のモノとして価値を創り出しました。

価値が無いとされていたモノをひとつの芸術にまで押し上げるその活動は、今で云う100円均一のお店から商品を選び、MoMAのパーマネントコレクションに押し上げるようなもので、恐らく美術界に相当インパクトを与えた価値観のイノベーションだったと思います。当然 反発もあり、美の巨人である魯山人と柳の不仲は有名な話(魯山人は、柳宗悦を「柳初歩悦」と呼んで馬鹿にしていたそう)。その活動と考えに心酔した私は当初、民藝の流れを汲んだプロダクトそのものに魅了されましたが、いつしか柳がしたことは「現代のデザイナーが地方のメーカーをディレクションする先駆け」だと気付いてこんな昔からクリエイティブが存在したのだと感動しました。

上京前、大阪で最後に勤務したお店はそういった思想を理解した人が代表を務めるお店でした。その代表の人徳もあり、在職中は沢山のメーカーや同世代のクリエイターと知り合うことができました。出会いの中で尊敬できる人は、デザインをしない方でもクリエイティビティを持っている方でした。そこでいつからか「面白い人(ヒト)」の「活動(コト)」から生まれる「物(モノ)」という順番にプライオリティーが位置付けされ、モノを売る商売でしたが、それにまつわるヒトを売り込むような接客スタイルになりました。そうなると、20代の頃と同じ気持ちで販売員を続ける事が難しくなり、辞めることだけを先に決め、家庭の事情で東京に上京しました。

コロナもあり少しフラフラしていた自分が、人を介してMIDORI.soにたどり着いたのは運が良かったと思います。コワーキングスペースの仕事がよく分からないままコミュニティオーガナイザー(CO)になりましたが、このコラムをしたためながら我が道を振り返ってみると、「ヒト」が主役の職場にたどり着いたのは運命だったようにも思え、感慨深くもあります。

COになってまだ1年弱。まだまだ沢山の人と出会うことの出来るこの場所で、「知らない」を「知る」という面白さを一番に、未知を減らし続けることが出来ればと思います。

今日も沢山の出会いに感謝。

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