INTERVIEW We Work Here case #27 「デザインによって何かを生み出し続けることこそ、生きる原動力」

みどり荘メンバーの金澤繭子さんは、現在アートディレクター、グラフィックデザイナーとしてブランディングやパッケージデザイン、広告のデザインなど幅広くデザインを手がけている。彼女がフリーランスのデザイナーに至るまでの道のり、デザイナーとして大切にしてていること、そして彼女にとっての「働く」について、金澤繭子さんにインタビューした。
[ Interview / Text / Photo ] Yuko Nakayama
[ Edit ] Miho Koshiba, Moe IshibashI
2020. 10.06
「肩書きは、アートディレクター、グラフィックデザイナーです。クライアントのリブランディングのプロジェクトのデザイン部門から参加し、ターゲットやコンセプトに合ったデザインを提案することもあれば、パッケージデザインや広告のデザインなどもしています。また、スポットでロゴや名刺などのデザインをすることも多いです」

小学4年生の時に絵を描くことが好きだと自覚し、5年生からはお絵かき教室に2年間通い、水彩画や油絵など絵を描くことの楽しさを感じ取っていった。将来は「漫画家か絵描きになる」と漠然とした夢はあったものの、当時の彼女の未来はぼんやりとしていて、その道筋はまだまだ見えていなかった。
「バスケに夢中だった高校時代に、ある時父親が美大の存在を教えてくれたんですが、教えてもらうまでは、美大というものがあることすら知らなかったんです。父親のアドバイスのもと美大に行くための予備校に通い始め、結果第1志望は受からず、昼間はデザイン事務所でバイトをしながら、多摩美の夜間に通うことにしました。生徒はデザインの仕事をしながら通っている人や、自分の会社にデザイン部署を作りたいからデザインを学んでる人などが多く、彼らの目的ははっきりとしていました。そのような環境に対して、自分が何も考えていないことに焦りを感じていたことを覚えています。そもそもデザイナーというものが何なのかすら分かっていませんでしたね」
「昔から目の前のことに集中はするんですけれど、新しい知識を自ら得ようとする意識がなかったような気がします。中学生で『大改造!!劇的ビフォーアフター』の匠に憧れて建築士になりたいと思った時も、父親が教えてくれた建築が学べる高専を受けましたし、美大も父親の薦めでした。絵を描いたり物を作ったりすることは好きでしたが、自分が将来どんな仕事に就きたいのか、仕事を通して何をしたいのかも分からない時期が続き、卒業後は幸いにも大学の教授が役員をしている広告系のデザイン会社で働き始めました。紆余曲折を経て、ようやくもっと大きな括りの中で、ブランディングやデザインを学びたいと思うようになり、別のデザイン会社に転職しました」
転職したデザイン会社は、商品の川上から川下まで全て一貫してデザインに携われることを強みを持っていた。今までにないくらいの経験と知識を習得し、場数を踏みながら見えてきたものは「自分のデザインとは何か?」という問いだった。
「ある飲料メーカーのブランディングを担当したんですが、広告のグラフィックからCMの映像、パッケージ、販促品、キャンペーンなど、1から10まで全てのデザインに関わることができました。やるべきことが多くて大変でしたが、紙や印刷、映像など、色々な媒体の勉強をすることができたことは、とても良い経験であり修行のようなものでした。アートディレクターとして表参道にあるSPIRALのフリーペーパーを担当した時は、デザインだけではなく撮影の香盤やカメラマンの手配等もしました。クライアントと上司と接してく中で、どうしたら上手くやり取りを進めていくことができるのか、その術を学ぶことができた貴重な時間でもありました」
「3年ほど働き、段々と自分のデザインとはどんなデザイン何なんだろうかと自問自答するようになりました。デザイナーによってアウトプットは変わると言われても、最終的には社長のディレクションでデザインが決まる。自分のデザインはゼロなんじゃないかと思うと、自分のデザインを知りたいという気持ちが膨らみましたし、個人で受けていた仕事に充てる時間も欲しかったので、社内で部署異動が行われるタイミングで退職しました。一緒に働いていたイラストレーターの大御所さんからは『丸裸で出ちゃったんだね』と心配されるくらい、フリーランスになる準備も何もせずに辞めてしまいました」

フリーランスになってからは、周囲の仕事仲間や知人から紹介してもらった仕事をしたり、制作期間として作品作りに取り掛かるものの、不安の波は押し寄せた。1年半ほどして少しずつフリーランスとしての生計を立てていく道筋が見えてきた。
「正直、自分のデザインは今でも見つかっていません。ただ美大生時代を振り返ると、とにかく意味不明なものをたくさん作っていましたし、楽しいものを作りたいという気持ちがありました。パソコンを使わずにフォントを作るという課題では、彼氏のすね毛でフォントを作ったり、ポートフォリオを作る課題では、石のブロックでポートフォリオを作ったり、まるで図工でした。でもそれが何よりも楽しかった。今も自分のデザインは模索中ですが、やっぱり絵を描いたり物を作ったりすることが好きという気持ちは、小さい頃から変わりません」
「私の作るものに対して相手が共感してくれるならば、なんでもやりたいとは思います。ただ誰が作っても同じような仕事は、チャレンジしたいとは思えません。自分がデザインすることで、化学反応が起き、作品という1つの形にどのように落とし込むことができるのかを知りたい。たとえクライアントのテイストが自分の好みと合わなかったとしても、スタートからクライアントが面白いものにチャレンジしたいというポジテイブな姿勢を持っていてくれるならば、ぜひ一緒に仕事をしたいと思います。それは、チャレンジしたいというお客さんだったら、自分が作った作品をポジティブな気持ちで受け入れてくれると思えるからです」


すね毛で作ったフォント
金澤さんの根底には、楽しいものを作りたいという気持ちがある。その気持ちを相手と共有できれば、さらなる喜びに変わることは間違いない。そんな彼女にとって、働くとは?
「会社員として働いていた頃は、会社のために『働いている』という感覚が強かったと思います。その頃は、特に疑問に思ってはいなかったんですが、フリーランスになってみて、クライアントからいただいたお仕事に対して、自分がその仕事を受けることでどうなるかと考え、自分で選択して仕事を受けることが『自分のために選ぶ』という感覚に繋がって嬉しいです」
「美大の頃は先生から課題をもらって作品を作っていた一方で、課題とは関係なく自主的に自由に物を作ることもありました。けれど、自由に作ってもいいという状況下で、ずっと何かを作り続けることは意外と大変で、課題が欲しくなります。ファインアーティストのように、何かを生み出すエネルギーがみなぎっている人は、自分で立てた課題に対して永遠に作り続けられると思います。そういう意味で、私にとって仕事がいい具合に課題になっています。もはや仕事というよりの制作の延長です。デザインは世の中をよくするためにあるものだと考えていますが、無くても成り立つものでもあります。課題があり続ける限り、デザインの力でプラスになると嬉しいですし、その課題をどのようにすればクリアできるのかと考えながら、最終的に相手に喜ばれた時が嬉しい瞬間でもあります」
デザインによって世の中に存在する課題を乗り越えていこうとする金澤さんにとって、仕事をする上で大切にしていることは。
「クライアントからお願いされたデザインだけを作っていると、すごく世界観が狭まってしまうと感じるので、なるべく広げて考えるようにしています。例えば、ロゴを作ってくださいとお願いされた場合は、ロゴのことだけを考えて作るとこじんまりとしたものができあがると思うので、ロゴを展開させたらどうなるかとイメージを膨らませながら、名刺や封筒など、考えられる色々な媒体の使用例の作成もします。工数はもちろん増えますが、色々な媒体をイメージしてデザインすると、デザインの幅も広がって面白いものになっていきそうというワクワク感に繋がりますし、世界観が統一されて自分としても納得できるものができあがると思っています。また世界観を提示することで、お客さんも自分たちのロゴに対するイメージを膨らませることができますし、楽しい気持ちになるはずです」
「ブックデザイナーの祖父江慎さんが「うっとり」することの大切さを話していて、そのことにすごく共感しました。私も基本的にクライアントには、自分がうっとりするものを出すようにしていますし、自分がデザインしたものをいいなと思える瞬間ほど、幸せに感じることはないと思います。作っている段階でうっとりし始めたらいい傾向にあると思えるし、そうでなければ苦戦している。うっとりは一種の自分のバロメーターになっています。もちろん仕事となるとクライアントの意向が第一ですので、一方的に自分だけがうっとりしていてもダメなんですけれど、相手からプラスの反応が返ってきたらなおさら嬉しいですね」

自らのデザインを追求してやまない金澤さん。その冒険は、まだまだ終わりのない道のりのようにも見えるが、彼女にとって「デザインすること」を突き動かすものとは。
「長い目でこれからのことを考えると、子供を産んでも仕事を続けたいので、どうしたら仕事を続けられるのかと考えています。仕事をしない人もしたくない人も世の中にはいますけど、どうして自分はこんなに仕事がしたいんだろうと不思議に思うことがあります。大学生の頃は、よく物事をネガティブに捉える癖があり、生きていることがつまらないと感じていました。買い物をしたり、遊園地に行ったりすることは簡単だし、お金さえあれば一瞬で叶えられてしまう楽しさはありますけど、私にはそれだけでは生きる気力が保てない。今は自分が好きだと思える『デザイン』というものに出会えたことが、本当に幸せなことだと思いますし、仕事をしていなかったら本当に生きている意味がないと思うくらい、デザインが好きです。そして、デザインを通して何かを生み出し続けることこそが、私の生きる原動力なんだと思います」

最後に、みどり荘とは。
「みどり荘には色々な考え方を持つ人がいて、自分の考え方が広がっていく感覚があります。いい塩梅にお互いに興味があるし興味がないし、その執着しすぎないバランスの良さがいいです。基本は1人で遊ぶことが好きなんだろうけど、たまに友達と遊ぶことが好きという感覚を持ち合わせている個人の集合体な気がします。みどり荘にはいい具合に規則がないですし、自分で節度を守る人が多いので、相手を敬う人間性がみどり荘のメンバーから感じられて居心地がいいです」
Profile
金澤繭子 Art Director / Graphic Designer
1990年生まれ。2013年に多摩美術大学卒業後、広告デザイン事務所を経て、2017年に独立。 現在はフリーランスとして広告やパッケージ、書籍、ブランディングなど幅広いジャンルのアートディレクション&デザインをして活動中。GERMAN DESIGN AWARD 2021『Special Mention』、K-DESIGN AWARD’20『Winner』、2016 SONY MUSIC×NYLON JAPAN JAM アート部門 グランプリ受賞など。
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