INTERVIEW We Work Here case#19 “やりたい仕事とやらなければいけない仕事の間にいること”

今までソフトエンジニア一筋の道のりを歩んできたけれども、周りを見渡すと、似た者同士が集うことで生まれる均一的な世界が見えてくる。その世界に対し否定はしないけれども、一人の人間として"ここだけではない" 世界のことをもっと知りたい。この世界は自分が想像しているよりもはるかに大きく、果てしないはず。そうして、彼はその大海原に身を投じ、自分が心地いいと思える環境や人々と出会い、自らのバランスを定めている。
John Daggettさんは、生粋のソフトエンジニア。アメリカのリベラルアーツの大学を卒業以降、大学院を挟み企業のソフトエンジニアとして働き続ける。現在は二人の娘さんと共に日本で暮らし、中目黒のみどり荘では「パパジョン」というニックネームを持ち、みどり荘メンバーからもお父さんのような存在の一面がある。一人の人間として彼自身の今までの人生と、これからの人生を見据えた未来の話について。
[ Interview / Text / Photo ]Yuko Nakayama
[ Edit ]Miho Koshiba, Moe Ishibashi
「今はbandcampというオンラインの音楽配信サイトでソフトエンジニアをしています。
エンジニアのほとんどがみんなリモートワークで、日本でもアメリカでもどこで働いても大丈夫なんです。本社のあるサンフランシスコとは少し時差があり、毎週火曜日の2時(実質月曜日の深夜2時)のミーティングが少し辛いです。普段は10時頃には寝ていますが、月曜日だけはできるだけ8時半に寝て、一度起きて会議に出てまた寝る生活をしています」
bandcampは、オンライン上でダウンロード販売が可能な音楽配信サイト。主にインディーズのアーティストやレコードレーベルが自身の宣伝プラットフォームとして利用し、ユーザーは彼らの音楽を無料で試聴したり、購入することができる。

生まれはアメリカ・マサチューセッツ州ボストン。オハイオ州のオーバリン大学(Oberlin College)にてリベラルアーツを学ぶ。リベラルアーツとは、一つの学問に集中するのではなく、理系にも文系にも縛られない、様々な知識を学ぶことで教育のバランスに重きを置く教育方法の一つだ。
「数学の専攻だったんですが、建築や歴史や科学など色々なことを学びました。そういうのがいいんです。教育は、一つの学問に集中しすぎたら色々な知識が身につかないので、何か問題が起きた時に、これはこういう風に解決しましょうという対処法がなかなか身につかない。ある問題を解決するために、コードを書くことしかわからない、コンピューターサイエンスしかわからないとなってしまうのは避けたいです」
「大学の後にサンフランシスコに来て、ナイトクラブや麻薬中毒のリハビリテーションのようなクリニックでアルバイトをしながら、その間に何をやりたいか考えていました。今はIT時代になったから様々な職種のエンジニアの仕事が山ほどあるけど、当時は少なかった。IT系の仕事は金融か飛行機やミサイルを作っている軍事系の会社しかなく、会社自体がお金のためだけに生きているようで働きたくなかった」

カリフォルニア州・バークリーにて自身が納得できる金融関係の仕事を見つけ、その会社が東京の証券会社との合併会社だったこともあり、日本の五反田にて働くことになる。その後はコンピューターサイエンスの知識に磨きをかけるために、アメリカの大学院に入学する。卒業後は、Appleやいくつかのベンチャー企業にてソフトエンジニアとして経験を積む。1年の世界旅行を経て、友人からのヘッドハンティングでMozilla、そしてbandcampにて働き始める。
「1994年にAppleのソフトエンジニアとして働き始めました。大企業においてエンジニアが書くソフトウェアは、例えばMacのOSはたくさんのコードで書かれているけど、私が書くのは一部だけなんです。ずっと一部だけのことを書くのはつまらない。もっと大きなソフトウェアを作りたいと思ったので、アプリケーションを作っている会社に入りました。数年IT系の会社で働いていると見えてくるのは、同じような男性が9割いて、みんなIT系の考え方でちょっとナードっぽい。スターウォーズやアニメが大好きとか(笑)。それはそれでいいんですけど、それが全てになると退屈なんです。世界が小さく見えてしまう。少し違うことをしようと思い、一人で世界旅行に出かけました」
「ブラジルにいる間に、日本で行われているW杯を見て、また日本語の勉強をしたいと思い、日本語学校に申し込みました。日本にいるのは3ヶ月の予定だったけれども、段々日本の生活が楽しくなり、結婚もして子供もできて、もう17年経ってしまいました。今はシングルパパの生活だけれど、東京の方がいい。混んでいるところはあまり好きではないけれど、東京の生活が結構豊かな生活だと思っています。車がなくても大丈夫。日常生活の中で、美味しい物を作ったり、食べたりすることもできる。色々な面白い日本人や外国人にも出会える。東京は大都会だけれど、住みやすいところ。子供の安全をあまり心配しなくてもいいし、娘二人のためにもいいと思っています」

今までの人生、ソフトエンジニア一本で通して来たJohnさんはこれからもソフトエンジニアとして働き続けるのか。これからの展望は?
「自分の娘たちはティーンエイジャー。彼女たちが大学に行ったら、私はどうすればいいのかということを考えています。また学校に戻ろうかなと。温暖化の影響で、世界は本当に変わっていますし、みんなの生活も変わっていきます。10年後に何かの影響で気温が1度、2度上がる。色々なシミュレーションをして、情報が算出できるようなソフトウェアやくらいメット・サイエンス(気候学)について勉強したいとか。今までは将来的に温暖化が何かに影響を及ぼすとぼんやりしていたけれど、実際は10年以内に変化が厳しくなると思っていて、もう無視ができない問題だと思って」
「だだ、解決方法はあると思っていて、これからみんながやらなくてはいけないことを理解していきたい。今まで真剣に考えてこなかったけれども、最近は火事が多くなったり、台風もひどくなったり。アメリカのプエルトリコでは、台風によって起きた被害の対応に対して、政府の動きもおかしかったし、社会体制は壊れていました。そういうことがこれからも起きてくると思います」

ジョンさんにとって働くとは?
「働くとは、意味が深いですね。何をやりたいのか、何をやらなければいけないのか。そのバランスが非常に大事だと思います。理想は毎日自分の好きなことだけをすること。でもそんな仕事はほとんど存在しないので、やりたい仕事とやらなければいけない仕事の間にいること。今の仕事はそういう環境が作れます。開発が好きだからコードを書くとか、そういう毎日が続くと結構楽しいです。でもやらなければいけないことはストレスに感じます。それでもどんな仕事にもやらなければいけないことはあって、例えばコードを書くとテストをしなければいけない。色々な調査をしなければいけない。他の人とに私のやっていることを説明しなければいけない。いろいろと面倒臭いこともあるけれども、今の仕事はいいバランスが取れている」


元々は建築家夫婦が経営するオフィスのデスクを借りていたことがあるそうだ。現在は、中目黒みどり荘の一角に自分のデスクを構える。Johnさんがみどり荘のメンバーになって2年の月日が経つ。
「建築家の夫婦の事務所の一角を借りていた時は、周りの人たちはよく外出していたので、誰もいないことが多かった。場所は面白かったけれども、一人だけだと寂しかった。二人の娘の学校の近くにオフィスはないかなと思い、『東京 コワーキング』で調べたら、Spoon and Tamagoの英語版のみどり荘の記事を見つけ、写真だけでも面白いなと思い見学に行きました」
Johnさんにとってみどり荘とは?
「みどり荘はビルが古くて、完全にうまく動いていないような部分もあり、ちょっとごちゃごちゃしているところ、それがいい。完璧じゃないから、好きです。ビルの外壁を見ると、何これって思います。毎日朝に出勤する時、通りがかる人たちがビルを見て何を言うかを聞くのが楽しいです」
「夕方になると二人の娘がみどり荘に来て、他のメンバーと一緒に共存している。みどり荘は学童(笑)。ラウンジに集まるメンバーそれぞれの会話を聞いたり話したり、娘二人は実際にみんながどんなことをしているかを見ることができるので、いい教育だと思っています」
John Daggett
Software Engineer
マサチューセッツ州ボストン生まれ、オハイオ州のオーバリン大学にてリベラルアーツを学ぶ。Apple、Mozillaの大企業やいくつかのベンチャー企業のソフトウェアエンジニアにて経験を積み、現在は本社がサンフランシスコにあるbandcampのソフトウェアエンジニアとして、日本に拠点を置きながらリモートワークしている。
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