INTERVIEW We Work Here case#17 “それをやれば美味しいと思うんだったら、やるべきでしょう”

好きに正直であること。社会の荒波に揉まれながらも、ようやく取り戻せた自分自身が本来持ち合わせていた好きという気持ちに向き合えること。その望む舞台にて、彼女はご飯を作り、食べ物を通して太陽のように周りの人々を照らしていく。
管理栄養士・フードクリエイターとして活躍する金城さんは、元々は小学校の子供達の給食の献立を考える栄養士だった。彼女が仕事を辞め、現在管理栄養士として、フードクリエイターとしての肩書きでなぜ働いているのか。彼女の食に対するこだわりとときめき。彼女が突き詰める食の世界の純粋さ。そしてご飯を食べる人々に対しての思い。みどり荘で毎週行われるランチ会を担当する金城陽子さんにインタビュー。
金城「いろいろなところで、ご飯を作っています。名刺には管理栄養士とフードクリエイターと書いていて、どうしてクリエイターかと言うと、ただクリエイターという言葉が好きだからです(笑)。作って、食べて、味を想像する。いろんな意味を含めて、クリエイターだと。また、コミュニケーションを生み出す場としても食はあります。食と言っても、色々な捉え方が人それぞれにありますが、料理人でも料理家でも、フードコーディネーターでもないです。あとは、雑誌やCM、テレビなどのフードコーディネーターのアシスタントを時々。おかずビジネスとして、現在8家庭のおかずを毎週作っては届けています」

沖縄に生まれ、高校生までは沖縄の地に育つ。小さい頃から食べることが好きだった金城さんの脳裏には、母が作った手の込んだ料理を家族みんなで囲む景色や学校の給食が運ばれてくるワゴンが鳴らすガタンとさせる音やその日の給食の匂いが焼き付いている。
「本当に小さい頃からご飯を食べることが大好きでした。お母さんが手の込んだ料理を作ってくれて、ロールキャベツやグラタンもホワイトソースから。誕生日の時は、ケーキを一から作ってくれたり。それを家族みんなで食べるような、そんな食卓でした。小学生の頃、料理の雑誌や本を見て、妄想するのが好きだったんです。『私だったら、ここにこのアレンジを加える』と、気になるレシピを切り抜いてファイリングしたりしてました。例えば、カルボナーラなら、クリーム系にトウモロコシを入れたらもっと美味しくなるんじゃないかなとかもっときのこを入れたい!とか。夏にクリーム系を食べたいかなってなったら、トマトを入れたら酸味もあって、トマトのクリームパスタが美味しそう!って」
「中学校の時は給食が好きで、月一の給食便りがとても楽しみでした。旬の食材や食の小話も読みました。クラスに不登校の友達がいたんですけど、みんなで給食を食べる日に、その子にもっと学校に来て欲しくて、その日の給食で使われていたトマトの栄養素を調べて、こういう料理にするとこんなに美味しく食べれるだって、勝手に紙に書いてあげていました(笑)」
食べることが好きだった学生時代を経て、食を生業とする道に自ずと自分の将来像を重ね合わせていく。高校卒業後は、管理栄養士になるために岡山県にある大学へと進み、資格取得後は東京の給食会社に就職する。しかし、自分が思い描いているような景色が、そこにはなかったそうだ。
「栄養士は、病気の人に必要な栄養素や食事を勧めて元気にしたり、食材を操れるマジシャン。国家資格を持っていたら、後々何かのためになるかなって資格取得後は、ひとまず管理栄養士として働こうと思い、東京の給食会社に就職しました。始めは病院や老人ホームで働き、病院だと朝4時半や5時に出勤して食事や献立をを作っていました。けれど、料理場が地下にあったため、日の光を浴びない日々が続きました。チーフになり、パートさんのシフトや給与管理、会社の会議に出たり、調理師がお休みの日は調理に入ったりで、朝か昼かもわからなかったです。冬だと暗い時に出勤して、帰るときも暗かった。2011年の3.11の時に、このまま死ぬの嫌だな、やっぱり学校給食をやりたかったんです。何より給食便りを書きたかった(笑)」
「会社を辞めて、東京都の非常勤栄養士に登録し、産休で栄養士さんのいない学校で学校給食の献立を作っていました。毎月何を書こうと思いながら、給食便りを書くことが嬉しくて、それに私は命をかけていました(笑)。給食便りを読んで、保護者の方が給食を参考にしてくれたのも嬉しかったし、子供達が『あれが美味しかったからレシピを教えて』と聞いてくれたり。学校には栄養士が必ず一人いて献立を作り、その献立を調理師さんに渡して作ってもらうというシステム。栄養士は給食時間に何もしなくてもいいんだけど、私は教室を回りたかったので、『今日はどう?』って子供達に聞いたら、『今日のは美味しかった!』『今日のはここをもう少し直して欲しかった』とか。先生って呼ぶ子もいましたけど、たいてい『金ちゃん』もしくは『金城さん』と呼ばれていました」

環境が変われば、そこにいる人々の考え方も様々だ。異動で新しく働き始めた学校で、職場の人々の食に対する考えの違いや温度差に違和感を覚え、次第に自分がなぜ食に関わっているのかがわからなくなってしまったそうだ。
「給食に対して無関心な方が多かったことにびっくりしました。学力向上、体力強化と言ってはいるけど、しっかり食べて、精神も安定していて、そういう基盤があった上で、勉強しましょう、持久走で走りましょうというのはわかるんですけど、全くそうではなかった。食育基本法ができて、こういう風に給食を進めていきたいですと言っても、風穴すら開けることができなかった。アプローチの仕方がわからなかったんです。頭打ちをくらい、『食べるって何だろう』って、『給食って何のためにあるんだろう』と。食べることが好きで管理栄養士になったのに、給食を通して食の楽しさを伝えたいと思っている人が、楽しくないと思ってたらダメだと思いました。その整理がつかないまま、栄養士という仕事を続けていていいのかなとか、自分の食が好きだという理由だけでは、仕事としてやっていけないのかなって」
「究極ダメだと思ったのが、身体に不調が出てきたんです。そこまでして働く必要あるのかなと自問自答して、食べることが好きだったのに、ごはんが食べられなくなりました。好きというのを忘れてしまっていました。もうホームレスになってもいいから、収入とか考えずにとりあえず辞めてみることにしました。嫌から離れたかったんです。自分が食べたいものを作ろうと思ったのが、ちょうど3年前くらい。好きなものだけ食べて、自分が作りたいものだけを作ろうって思いました」

自らの負のスパイラルから思い切って抜け出した金城さんには、次の行き先は決まってはいなかった。しかしながらひょんなことで、当時出来たばかりのみどり荘3永田町に足を運ぶ。そして、そこでの出会いによって、陰りを見せていたかのようにも見えた彼女の足元には、金城陽子の名前のごとく陽が注がれていく。
「たまたま1月末に辞めて平日時間ができたので、浅草寺の豆まきに行きました。その時に前から美味しいと聞いていた浅草の桜餅屋さんで桜餅を買ったんです。6個入りからしかなくて、6個を一人で食べるのもなあと思い、みどり荘の永田町がちょうどオープンの時だったんです。平日いきなり押しかけてもいい場所って、みどり荘だなと思い連絡をして行ってみました。コミュニティ・マネージャーの澤本さんと一緒に桜餅を食べていたところに、みどり荘のマネージャー小柴さんが来て、『何で平日なのにいるの?』と聞かれて、『仕事辞めたんですよ』と言ったら、『ここでランチ会やれば?来週空いている?』と言われて、『空いてます!』って。そこで初めてケータリングという仕事の仕方があるんだって気づかせてもらいました」
「自分が好きなものを作ろうと思って仕事を辞めたはいいものの、結局何をしたらいいのかわからなかった。ランチ会に呼んでもらって作る場所をもらい、こういう人たちが食べるからこういうのを作ってみようとか、そこから好きな世界に入ることができて、広がっていった感じです。自分がケータリングをしていると伝えたら『今度ここにも来てよ』って誘ってもらったり」

金城さんの名刺には屋号として「N13 Coucou」と書かれている。どんな意味をもつのだろうか。
「もし自分が妄想でお店をやるなら、ただいまっていうお店にしたいというのがありました。でも、日本語でただいまってダサいなと思い、色々調べて『Coucou』がフランス語でカッコーの鳴き声の意味で、子供がお家に帰った時にただいまという意味もある『Coucou』というのを知って、それが音としてもいいなと思いました。でも、coucouだけだと寂しいと思ったので、ラッキナンバーを。13は実はラッキーナンバーなんです。みんなはジェイソンで不吉だって言うけれども(笑)、ラッキーナンバーは13だと姉から教わっていました」

金城さんにとって働くとは?
「みんな得意なことがあって、苦手なこともあって、人それぞれのできない部分を補うものみたいに思っています。今もそう。おかずを作っていて思うのは、働いているお母さんたちって、本当に忙しいし時間がないという中で家事とかをやっている。それを補っている感じです。働いているというより、ただ自分の好きなことを、私の場合は料理を作るのが好きだから、料理が苦手な人がいたらそこを補いますという感じ」
仕事をする上で大切にしていることは?
「面倒臭がらないことです。料理を職業にしている人が、面倒臭いって思ったらダメだと思っています。お金をもらっている以上、それをやれば美味しいと思うんだったら、やるべきでしょうと。『これを1個ずつやるの大変でしょう』と言われたりしますけど、でもそれが美味しいとわかっていながら、私が面倒臭いと言ってやらなかったら、相手にも失礼になる。鯖を煮るにしても、霜降り(魚の切り身を80-90度のお湯にサッと通し、水で洗い臭みをとる方法)をやれば臭みがだいぶ取れるのに、それを面倒臭いと思って、お酒をたくさん入れて煮てもいいと思うんですけど、そのひと手間で味がだいぶ変わると思うなら、やるべきだと思います」
「よく教室を開きなよと言われるんですが、あまり興味がないです。レシピを聞かれることは嬉しくて、食べた後に『これどうやって作るんですか?』と聞かれたら、出し惜しみもなく教えますけど、結局はその人の味になるので、みなさん好きに作ればいいと思っています。私が教えたとしても、私の味になるかというとならないと思うし、その人の味でいいと思っています」

仕事をしていて楽しいことは?
「食材と向き合っているときです。きのこはフォルムが断然かわいいです。何かを揚げるのが好きなんですけど、それは音が変わる瞬間があるから。揚げるもそうだし、焼くもそうなんだけど、揚げるって一番わかりやすいんです。『俺揚がったぜ』と合図を音で出してくれるので、それを聞き分けています。あとは、刺さなくても揚げ物を油から上げようとして箸で掴んだ時に、ジーンという振動がきたら揚がっている合図です(笑)」
「茹でる時もそうですね。私が好きな料理の人に佐藤初女さんという方がいるんですけど、その人の本の中に『透明になる瞬間を見極める』と書いてあって、『すごい!透明になるんだ』って。『合図を出すんだ』って。そこを見極めるのを私もやってみようと思い、温めたお湯に野菜を入れてじっと見ていたんです。そうしたら、鮮やかにパッと色が変わる瞬間があったんです。『多分透明ってこういうこと!?』って。一瞬のうちに美しい瞬間を切り取れたときの、心通えた感がすごく嬉しいです」

これからしていきたいことは?
「妄想料理をテーマにした本とかコラムを書いてみたいです。妄想が好きだから、文章だけで相手に妄想してもらう。例えば、今日のメニューはハンバーグ。ひき肉は合挽きではなくて、ちょっと荒目がいいとなったら、どんな荒さかなと思って肉屋に行って挽いてもらうのもよし、スーパーで合挽き肉を買ってくるのもよし。自分の好みの荒さに挽きたいんだったら、肉屋に行って挽く。それで、脂身をどのくらい入れようか、油っぽいのが嫌だったらら、赤身だけの肉。玉ねぎは荒目がいいか、細かくがいいか。炒めるか、生で入れるか。そういうのを文章に書いて、最後にハンバーグが出来上がるまでを妄想するんです」
「レシピ監修もやってみたいです。お店を新しくオープンします、こういうメニューがいいんですけど、どういうものがいいですかねと。あとは、もっと食材を扱うのが上手になりたいので、薬膳を勉強したいです。体調や季節に合わせて食材を提案できたり、料理に取り入れたりしたいです」

金城さんにとってみどり荘とは?
「行くたびに、ニューな感じがします。毎回行っても絶対新しい何かがある。いろんな職業の人がいるので、会話を聞いていて、いろんな知識や仕事のことなど新しい発見があります。この人知らなかったけど、こういうことをやっていたんだって。中目黒のみどり荘は、家に帰る感じがあります。作っているときに、、みんながご飯何?って聞いて来るのがすごく嬉しいんです。ただいまの先のご飯を作りたかったので、『ただいまー今日のごはん何?』とそんなノリで食べれるご飯を作りたいんです。安心感だったり。お母さんのご飯って絶対的安心感がありますもんね」
Yoko Kinjo
Nutritionist / Food Creator
沖縄県恩納村出身。小さい頃から、食べれる野草を取っては料理をしていたほど、食べることが大好きだった。病院や学校給食の献立作成。食事指導を経験。TVやCM等の料理制作、ケータリング等を行なっている。「食は生きる力」がモットー。
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