INTERVIEW We Work Here case#33 「初恋も結婚もブラジルでした」

MIDORI.soメンバーの松橋美晴さんは、Amamos Amazonという会社を通じてブラジルのアマゾンで生産された食材を輸入し、日本で販売している。また、ブラジルやアマゾンの文化を広めるためにイベントやワークショップなどを開催しながら、ブラジルと日本の架け橋となるべく努めている。なぜ美晴さんはブラジルという国を選んだのか。そしてアマゾンという私たちにとってなかなか馴染みのない場所に惚れ込んだのか。インタビューで話を聞きながら、そのこだわりの裏側に潜む美晴さんの温かな心を垣間見ることができた。
[ Interview / Text / Photo ] Yuko Nakayama
[ Edit ] Miho Koshiba
2021.05.20
遊ぶように仕事をしていたら、いつの間にか今の仕事に辿り着きました。代表を努めているKIMOBIG BRASILという団体では、ブラジルやアマゾン料理教室やポルトガル語の教室の運営、イベントやワークショップの開催をしています。また、Amamos Amazonという会社では「From the wild, Into your wild - ”野生”に触れて、”野性”に還る」 をテーマに、世界一豊かな生態系であるアマゾンのエネルギーあふれる恵みを日本に紹介しています。色々な課題を抱えるアマゾンで、闇雲に市場価値の高いものだけを育て収穫していては、アマゾンの人々の生活や彼らが住む環境を守ることはできません。そこで私たちはアマゾンの川沿いに暮らす伝統的住民(ヒベリーニョス)が、森林を守りながら農業収入を上げられるよう、アグロフォレストリーという農法を普及させています。また、生産されたカカオ豆を発酵したり、フルーツをドライフルーツに加工したり、付加価値をつけることで経済と環境の両立を目指しています。

生まれ育った青森県三沢の街には米軍基地があり、何もない田園風景の真ん中にそびえ立つライブハウスは異彩を放っていた。ライブハウスから奏でられるブルースの音色に引き寄せられ、美晴さんはギターを習い始める。
小さい頃から父が津軽三味線をやっていたこともあり、昔から音楽は子守唄のようでした。食べ物好きが高じてお菓子職人になるために短大の家政科に入学するものの、卒業後は公務員の父親が用意してくれていた就職先に就職しました。働きながらも家の近所のライブハウスに毎晩ギターを習いに行き、どんどん音楽の世界にハマっていきました。色々な音楽を聞いていく中で特にかっこいいと思ったのがブラジル音楽。独特のリズム、メロディアスな曲調、他の音楽とは異なるコード進行は今までに全く聞いたことがないくらい魅力的で、あれよあれよとブラジル音楽に吸い込まれていきました。
地元で働きながらも、私は青森から出たいと思っていました。このまま職場の人と結婚して、実家近くの土地に家を建て、子供を3人くらい産んで、一生この土地で働いて、と自分の人生が見えてしまった途端、ここではないどこかに行きたいと強く願いました。父親の面子もあったので退職をしたときは、一悶着はありましたが、ブラジルの音楽を求めてギター1つでリオ・デ・ジャネイロに足を踏み入れました。本場のブラジル音楽を生で体感するようになってからは、サンバやフォホー、カリンボー、ショーロなど多彩なジャンルを持つブラジル音楽に驚き、虜になりました。音楽の数だけリズムがあり、そして文化がある。その世界観の多様性を知れば知るほど面白いと感じるようになりました。ただ、私がリオ・デ・ジャネイロに留学をしていた頃は、アマゾンの「ア」文字もないくらい、みんな躍動的で陽気で「アマゾンなんてあったかな?」と思うくらいで、私にとってアマゾンは遠い存在でした。
日本とブラジルを行き来をしながら、約2年間留学していた美晴さん。帰国後は、しっかりと身に染み込んだブラジルライフを求めて、ブラジル人が多く住むという群馬県大泉町に住み始める。そこでブラジルと日本を繋ぐ国際交流団体KIMOBIG BRASILを立ち上げ「日本にいながらブラジルライフ」をモットーにポルトガル教室やブラジル料理教室を運営し始め、やがて美晴さんとアマゾンを引き寄せる出会いが訪れる。
大泉町にはスーパーからクリーニング屋、タトゥー屋、美容室、中古車ショップ、ライブハウスなどありとあらゆるブラジル人向けのお店があり、まさに日本のリトルブラジル。朝から晩までブラジルライフを送りながら、アマゾン出身の日系ブラジル人と仲良くなりました。今思えば、彼女が作った料理が私とアマゾンを結びつけてくれたんだと思います。印象的なのはジャンブーという菊科の植物。「夏はジャンブーが美味しいから、今日は天ぷらにしましょう」と友人宅の庭で育てられたジャンブーの天ぷらを口にした時は、山椒と同じ成分による痺れで口の中がビリビリ痺れました。アマゾン料理に最初はびっくりしましたけれど、だんだんとその美味しさに病みつきになっていきました。
それから夫の転勤で静岡に移り住み、静岡の菊川市で日系ブラジル人一世の大川夫婦が営むアマゾン料理レストランのCOSMOSによく通うようになりました。日系ブラジル人の歴史を紐解くと、1929年に日本からブラジルに移民した日本人が最初に降り立ったのは、実はアマゾンなんです。彼らは現地で日本の農業を始め、マラリアなどの疫病が流行ったり、日本と異なる環境下で農業がうまくいかなかったりしながらも、アマゾンに日本の旗を挙げようとしました。日本の高度経済成長期になると出稼ぎのために帰国するんですが、周囲から外国人扱いされて苦労が耐えたなかったと聞きます。そのような困難な日々を送りながらも、アマゾンで過ごした日々を大切にしていた日系ブラジル人は、日本でアマゾンの野菜や果物を育て、独自のマーケットを築いていきます。大川夫妻も同じようにアマゾンのおふくろの味を再現しようと、何十年もかけてアマゾンの野菜や果物を日本の土に慣らしていき、収穫まで辿り着きました。彼らの料理を食べると、胸が熱くなありロマンしか感じません。日本に何十年と根付いているけれど、あまり知られていない、隔離されたアマゾンの文化。しかしながら、実は日本とアマゾンは繋がっていたという不思議な世界に、私は魅せられのめり込んでいきました。

ジャンブー
ブラジルどころかすっかりアマゾンの世界にの夢中になった美晴さんは、自分が企画したアマゾンのイベントを通じて、アマゾンの人々や環境をサポートする日本のNPO法人クルミン・ジャポンと出会い、アマゾンの僻地にあるカカオの森に興味を示す。そして、初めてアマゾンに足を踏みいれることになる。
初めて訪れたアマゾンは、ただただすごいとしか言いようがない世界でした。全てを捨ててここに残りたいと思うくらい、とても素晴らしい景色でした。滞在期間中、アマゾンの人々と一緒に森を歩いていると蜂蜜を見つけたんですが、彼らは自分たちが舐める分しか採りませでした。砂糖を持っていない彼らにとって貴重なはずの糖分をどうして少ししか採らないのか。質問をすると「蜂蜜は私たちのものではないし、明日の分まで採らずに今日食べる分だけ採れればいい」と答えたんです。アマゾン川岸に住む人々のことをヒベリーニョスと呼ぶんですが、彼らはとにかく生きていく上での循環を体現していました。たくさん取ったら無くなるのは当たり前。彼らは知識として学ぶわけでもなく、体験から自分たちを取り巻く周囲の環境との共存の仕方を分かっている。ここに答えがあると思いました。世界は広いと感じたと同時に、自分たちは生き物であるという感覚を思い知らされました。私はブラジル以外の外国に行ったことがなく、友人からは他の国も行ってみるべきとよく言われます。ですが、私は初恋の人と結婚したのと同じように、初めて訪れた外ブラジルという国を好きなり、結婚したようなものです。そういうと、周りの人は「あら素敵じゃない」と褒めてくれます(笑)。
帰国後は、ヒベリーニョスの人々の生活や環境を守る活動に加わりたいと思うようになりました。アマゾンでは金の違法採掘による川の汚染が大問題となっています。だから金を掘らなくても彼らの生活を守れるような仕組みづくりをサポートすることはとても大事です。アグロフォレストリーという農業は、農地にキャッサバ芋などの一年生作物やバナナ、カカオなどの多年生フルーツ、さらに樹木など色々な植物を植えることで、長期的な収入向上や安定化につながります。単一栽培のような虫による害も少なく、病気にもなりにくいので、農薬を使う必要もありません。その中でも換金性が高い農作物がカカオです。私たちの事業地、事業地と言ってもヒベリーニョスの人々が暮らす家に隣接する、森のような場所なのですが、そこに生息するカカオは何百年も生き続けるカカオなんです。野生種のためカカオ豆自体は小さくて扱いにくいんですが、品種改良もしていないし、貴重でとにかく美味しい。カカオは発酵しないとチョコレートの原料になりません。野生種カカオは、その小ささゆえにこれまでカカオバター搾油用の原料として二足三文で売られていましが、カカオ豆を発酵させ、乾燥させることで初めてクラフトチョコレートとして生まれ変わることができ、従来の2-3倍の価格で取引されるようになりました。誰も発酵したことがなく、マニュアルも存在しない中、専門家の力も借りながら、農家さんや現地のチョコレートメーカーと共に試行錯誤を繰り返しながら、トレーニングを行っています。

野生種のカカオ

カカオ豆を乾燥させているところ
現地のヒベリーニョスの人々の生活をサポートしながら、2018年アマゾンの食材を仕入れ、販売する株式会社Amamos Amazonを現代表の武田さんと設立する。
常にアマゾンのことを考えていて、むしろ日に日にその思いは強くなっています。これからはアマゾンと言えばAmamos Amazonだと言われるくらいの存在になりたいといつも代表の武田と話しています。私たちの周りには、アマゾンの熱帯魚、猿、キノコなどアマゾンの研究をしている研究者がいます。みんなアマゾンに住む人々の人生を背負い、アマゾンを守ろうとしている運命共同体です。ニッチな世界ですが、だからこそ日本の人にも面白い世界があると知ってもらいたいです。日本からしてみたら遠い国のどこかの話と思うかもしれませんが、アマゾンを守らないことには、今ある自分たちの環境を守りきれないと感じてもらうような仕事をしていきたいです。

植物の育ち方が半端ない肥沃な土地

アマゾンの夕焼け
美晴さんにとって働くとは。
誰かからやるべきことを頼まれて、頼まれた時点で「働く」になる気がします。私はそれをやりたくないです。結局はそのやるべきことというのはその人のやりたいこと。私が気づいてやりたいことだったら最後までやり遂げようと思えますが、これをやって欲しいと言われたら、あなたがやりなさいよと思ってしまう。0から1にすることは楽しいですが、1から100にすることは苦手で、2になった時点で飽きてしまう。ブラジルの活動は、いつでも0から1のつもりです。よくAmamos Amazonはチョコレート屋ですかと聞かれますが、あくまで食材はアマゾンを知ってもらうための1つの手段にすぎません。自分が愛さずにはいられないアマゾンに住むヒベリーニョスの人々の暮らしをこれからもサポートできたら嬉しいです。

最後にMIDORI.soとは
MIDORI.soは私にとって遊び場です。むしろ遊びにしか来ていないです。別にどこにいても仕事ができるので普段は自宅で仕事をすることが多いんですが、打ち合わせでMIDORI.soに来て、COMMUNEでお酒を飲めた頃はギリギリまで飲んで遊んでいました。メンバーの皆さんは仕事をするためにMIDORI.soにたくさん来ているかもしれないけど、私は少ない回数で同じくらい濃い時間を過ごしているつもりです。
松橋美晴 Miharu Matsuhashi Amamos Amazon Inc. 取締役
青森県上北郡出身。2001年に単身渡伯。リオ・デ・ジャネイロ州コパカバーナに住み、エキサイティングな街を満喫。帰国後はブラジルと日本をつなぐコミュニティーファクトリーKIMOBIG BRASILを設立し、日本に存在するブラジル人コミュニティなどでブラジルライフを実践。ブラジル料理研究家、ブラジル食材販売BRASIL KITCHENプロデュース、FRUEフードディレクター、ブラジル人ミュージシャン・ツアーアテンド、アマゾン音楽DJ、アマゾンの文化や現状を伝えるAMAMOS AMAZON. Incの取締役も務める。
https://www.instagram.com/kimobigbrasil/
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