INTERVIEW case#39 We Work Here 「刺激的な変な人たちに囲まれて」

「一般的にグラフィックデザインとは、アウトプットは視覚的だが、クライアントから発注を受ける段階では言葉や参考資料しかない。その発注から、出そうと思えば1万通りの答えがあるからこそ、答えがあるような、ないような曖昧な行為を仕事にしている」とMIDORI.so Nakameguroメンバーのアートディレクター大西真平さんは言う。美大卒業後、美大の仲間たちとアーティスト活動をしながら、流れるままにデザインの仕事を始めた。現在は自身で手を動かしながらもアートディレクターとして活躍する大西さんは、何を思いながらデザインと向き合うのか。MIDORI.soが始まってもうすぐ10年になる今、その年月とともにMIDORI.so Nakameguroで働いてきた大西さんの「働く」とは。
[ Interview / Text / Photo]Yuko Nakayama
[ Edit ] Miho Koshiba
2022.03.14
〈 BEFORE You Work HERE 〉
鳥取生まれ、幼い頃から建築家であった父親の蔵書やアートに囲まれて育つ→中学まではスポーツ好きでバスケ部のキャプテンを務めるが、高校からは帰宅部と美術部に方向転換。地元のスケーターや夜遊びしている先輩達と学生時代を過ごす→東京造形大学の絵画科を専攻し、コンセプチュアルアーティストになろうと留学を夢見たが断念→就職はせずに大学の先輩と一緒にアートユニットなどで活動し、原宿のStudio Sunshine、青山のOFFICEなどで展示、IDEEエントランス脇のワゴンでアートを販売する→デザインの仕事が増え始め、2009年に独立→2012年MIDORI.so Nakameguroスタートの年にMIDORI.soメンバーになる→MIDORI.soファウンダーでもある黒崎輝男やメディアサーフコミュニケーションズ(以下MSC)のデザイン周りの仕事をしつつ、徐々にアートディレクターとしての地位を確立していく→現在はアパレルやホテルなど幅広い業界のプロジェクトのアートディレクションをしつつ、自身もグラフィックデザイン、ウェブデザイン、イラスト、エディトリアルデザインを手がける。肩書きは、仕事内容によって変化する。

自分の色を出すことだけが目的ではない
「 基本はアートディレクターとして働いていますが、アートディレクションしているプロジェクトの中で、グラフィックデザインをやる時もあれば、エディトリアルデザインやイラストレーションもすることもあります。NOHGA HOTELのアート作品をインストールした時の肩書きはアーティストでしたが、普段からアーティスト活動をしているかと言うと全くしていないです。(でも、実は毎年自分の展示をしたいと言っています。) デザインをする時に気をつけていることは、人の話をよく聞くことです。自己満足にならないように、相手に納得してもらいつつ、お互いにとっていい落とし所を見つけられるようにしています。結局のところ自分のエゴイズムをぶつけてとんがったことだけをやっても仕方ないと思うんです。唐突に相手のブランドの何かを変えることは難しいと思いますし、徐々に変わっていくことが一番いいと思っているので『これがかっこいいんだ』と自分のスタイルを押し付けるようなことは絶対にしません。僕はクライアントのブランドを作るのではなく、あくまでお手伝いをする人。そこでできる最大限のパフォーマンスをやろうと思うことが一番重要だと考えています。例えば、新宿にある老舗映画館の武蔵野館やシネマカリテのロゴに自分のデザインが採用されたのもデザインとして素晴らしいかは別として、自分よりも20も30も年上の方々にも理解を得れる提案とプロセスを通した結果であり、信頼されているからこそ今も長くお仕事をさせていただけていると思っています。」
どこにも属さなかった先にあるもの
「美大生の頃はコンセプチュアルアーティストになりたかった自分が成り行きで美大の先輩たちとアートユニットでグラフィックデザインを始めて、いつの間にかデザインでお金をもらえるようになっていきました。若い頃の僕にとってデザインとはお金をもらう仕事でした。人の言うことを聞くのがデザインであり、聞かないのがアートだとそんな稚拙な考えを持っていました。もちろん今はそうではありませんが、自分のデザインにおける『相手の話をよく聞く』という仕事の姿勢の根本はその時代に培われたんじゃないかなと思います。」
「僕は今までデザイン事務所で働いたことがないので、デザインを仕事にするならばちゃんとした有名なデザイン事務所やプロダクションに入っておけばよかったと思うことが時々あります。なぜなら有名なデザイナーには系譜があって『どこどこの先生がいた事務所を出た人』というだけで世間からは理解されやすいし、ある程度知名度があれば無駄に悔しい事を言われたりする事が少ないのかなと思ったりします。それもあってか最近よく考えるのは、今までさんざんお仕事をくれた黒崎さんやMSCなどMIDORI.so界隈の人たちに、デザインのクオリティで貢献できていたとしても、知名度という点では逆効果のようなことが起きているように思います。僕にもう少し知名度があったら、仕事としての相乗効果がもっと生まれると思うんです。僕のデザインを起用してもらうことでプラスアルファが生まれ、仕事の露出が上がることもあるはず。もちろん知り合いを通じて仕事をいただけていることは、仕事の広げ方としては理想的かもしれませんが、今後はもう少し外を意識して仕事をしていきたいとも思ってます。」


刺激的な変な人に出会い続ける
「働くとは、お金をもらうこと、誰かの役に立つこと、自分が楽しいと思えること。この3つのバランスを取ることが僕にとっての『働く』です。子供の頃は、漠然と自分の好きなことでご飯が食べれるって素敵だなと考えていたこともありました。それに僕の父親とよく一緒に遊んでいた地元の写真家や絵描きはもちろん、建築家であった父親自身も楽しそうに働いていたので、小さいながらに自分自身もうなりたいと思っていましたね。そして今いざ自分の人生を振り返ってみると、すでに大体のことは叶っているような状態だと少しは感じます。でももっと稼ぎたい気持ちはあります(笑)。それに老後が不安です(笑)。黒崎さんのように70歳を過ぎてもバイタリティを持って仕事をしていることは凄いこと。それはきっと年齢や職業の垣根を超えて様々な人と交わり続けているからだと思います。だから僕はMIDORI.soを出ようとはあまり思っていません。どんなに忙しくてもMIDORI.so Nakameguro Galleryのキュレーターであるトモジくんあたりが『ちんぺいさん面白いやつきましたよ!』と言って邪魔してくるんですが、結果それによってMIDORI.soの周りにいる刺激的で変な人に会い続けることができるからです。変な人に会い続けることはとても重要なことで、自分の趣味と合うような人とずっと一緒にいたら、自分にとって気持ちのいい空間で完結してしまう。だから、僕は色々な仕事や価値観や考え方を持つ「刺激的な変な人たち」に囲まれながら、これからもここで働いていくんだと思います。」
大西真平 | Shinpei OnishiArt Director
アートディレクター、グラフィックデザイナー、イラストレーター、アーティスト
78年生まれ、鳥取県出身。02年、東京造形大学美術学部絵画科卒。
アーティスト活動と並行しながら、イラストレーター、キャラクターデザイナーとしてキャリアをスタート。現在では広告、書籍、商品パッケージ、アーティストグッズ、映画館やホテルのブランディングなど、ジャンルを問わず世界観をトータルにディレクションし、制作まで手がけている。
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