INTERVIEW case#13 We Collaborate Here "ずっと続けられることって、時間を忘れるくらいやれること"

Topic: InterviewWritten by Miho Koshiba
2019/2/13
Souya Naito

「ゲームデザイナー」みどり荘の中でも他とない職業をもつ永田町メンバー内藤壮哉さん。ゲームの中でも、彼が手がけるゲームはボードゲーム。駒や将棋、サイコロを使って、勝ち負けが決まる、あのアナログゲーム。幼い頃に触れた覚えがあるボードゲーム。今の私たちの日常生活においては遠い存在となっているであろう。電車の中で誰かの携帯画面を覗けば、多くの人が携帯ゲームに夢中になっているこのご時世、彼はなぜボードゲームを作り始めたのか、そのきっかけ、ボードゲームに対するこだわり、それに付随するエトセトラをインタビュー。


大学卒業後、銀行の事務職を半年間務め、医療系の人材紹介会社に入るものの、終電を追いかける日々に疲弊。「これに乗っても、8時間後にまた同じ場所を歩いている?なんで帰るんだんだろう」。ふとした時に、“If not now, when?(今じゃなかったら、いつなの?)”という言葉に出会い、ハッとしすぐさま会社を辞めることに。その後は英語が得意だったことから、塾講師へと職を移す。

内藤「僕は自分の人生をどうしようかって悩んでいるのに、宿題もやらず、早く帰ってテレビを見ることしか考えていない、やる気のない中学生を教えていて、なんでこの子たちのために人生削って塾講やっているんだろうと思いました」

内藤「本屋さんでよく本を読んだりするんですけど、ある本に『積み重ならないことをしていても、何の意味もない』と書いてあったんですよ。銀行員で資格をいっぱい取ったけれど、結局その仕事をやめたら意味がない。どれだけ仕事を頑張っていたとしても、一生続けないとまたどこかで振り出しに戻ってしまう。何だったら一生続けられるだろうと思って。ずっと続けられることって、時間を忘れるくらいやれることじゃないですか。それじゃあ、小さい時に何が好きだったんだろう。そういえば、ゲームばかりやってたな。小学校の卒業アルバムに『ゲームデザイナーになりたい』って書いてあったなって」

幼少期の夢や希望は純粋なもの。花が好きだから、花屋になりたい。電車が好きだから、鉄道員になりたい。ゲームが好きだから、ゲームを作る人になりたい。あの頃の「好き」という気持ちから生まれる言葉には、確かに嘘がなかったはずだ。改めてその純粋な気持ちに正直に向き合い、商いとして選択する道に進んだ。

内藤「そこから色々と調べ始めて、『テレビゲームは1人で作れないけれど、アナログゲームだったら東京の印刷所で20万円くらい払えば、作れるぞみたいな。それじゃあ、1回作ってみるか』っていうのが最初です。そのゲームはネットやお店に卸して売っていたんですけど、これはお金を貰って売るようなものじゃないと思って、最終的にお店から全部回収してゴミ袋に捨てました

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導かれるままに、毎年10月にドイツのエッセンにて開催される世界最大規模のボードゲーム見本市「Internationale Spieltage SPIEL」に足を運び、ひょんな事からベルギーの会社が販売しているお寿司のゲームの輸入販売をする事になる。

内藤「でも途中で翻訳するのに飽きちゃって。日本ではあまり売れないし、翻訳して日本語版を作って販売するのが夢じゃないしな、と。今度は作って逆に世界に売り込んでいこうと思って、2018年から本格的にゲームをデザインするようになりました」

会社名は「Hemz Universal Games Co., Ltd(ヘムズユニバーサルゲームズ株式会社)」。「ヘムズ」に関しては秘密、「ユニバーサルゲームズ」という名の由来は、海外の会社が見たときに「この会社大きそうだな」と思わせるためと語るユーモアのある内藤さん。

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仕事をする上で大切にしていることは。

内藤「ゲームのルールやイラストの指示を考えるときは、細部まで徹底的にこだわります。イラストは細かいところでも、気に入らないと絵描きの人に伝えますね。『腕の位置を1ミリ上げて』とか。ルールに関しては徹底的にこだわりますね。少しでもしっくりこなかったら、しっくりくるまで何度も何度も試します。『神は細部に宿る』って言葉があるじゃないですか。宿らせてやろうって思ってやってますね」

内藤「今だったら、まだ直せるなって思うんですよね。リリース前だったら直せる。リリースしてしまったら直せない。じゃあ、今直そう。今試そう。今言おうって感じでやっていますね」

そこまでこだわる理由は内藤さんの性格によるものなのか、何が彼をそうさせるのか。

内藤「ゲームでよくあるのが、どこかで見たことのあるようなドラゴンが出て来て、またこれもどこかで見たことのあるような騎士が登場して、『はい、倒しました』っていうもの。ありきたりで嫌なんですよね」

内藤「そういうゲームを遊んでみて感じる作り手の印象が幼稚な気がするんです。『本当に拘って作ったのか?』って。『これを自信を持って売れるのか?』って。例えば、今作っているゲームに侍やヴァイキングのように、歴史上の兵士などが登場するんですけど、刀の角度やその地方の人が当時着ていた服の色、神話などを調べまくって、イラストやルールに落とし込んでいきました。別にそこにこだわっているからすごいとかそういうわけではないんですけど、そこまでこだわったという自分の中の感覚があることで、自信を持って人に売れるなって思うんです」


冒頭にも述べたように、今の時代、携帯などの電子機器のゲームで遊ぶ人々が大多数いる中、ボードゲームの立ち位置をどう考えるのか。

内藤「今はインターネットが普及してネットで対戦したり競い合ったりできるから、世界中の人と遊べるけど、それってなんか違うんじゃないかなって思うんですよね。僕が小学生の頃は、スーパーファミコンや64(ロクヨン)があって、隣に友達がいて、『おいお前やめろよー』みたいなのがあって、そこが楽しかったと思うんです。アナログゲームだったら、テーブルの向こうに友達や家族がいて、自分が負けても相手は勝って嬉しそうで、その顔を見て自分もなんか嬉しくなって。そういうのって大事なんじゃないかなって。


働くとは何でしょうか。

内藤「ゲームデザイナーの『働く』に関して言うならば、未来の人へ挑戦状を叩きつけることだと思います」

何やら将来の大物感を匂わせる言葉を放った内藤さん。その挑戦状とは、一体熱き男のどんな戦いの申し出なのか。

内藤「昔やったゲームがすごく面白くて、作った人誰だろうと調べたら、もう亡くなっていたんですよ。その時、衝撃的で。こんな面白いゲームを作った人が、もういないのかって。自分でもよくわからないんですけど、すごいと思うと同時になんかちょっと悔しかったんですよね。自分もそういうゲームを作って、100年後僕はいないけれど、誰かが『このゲームすごく面白いな。誰が作ったんだろう?え、もう死んでいる人!?』みたいになったらいいなって。拘って拘って拘り抜いて、そこまで行き着かないとダメだなって思えたんです」

ときどき、可愛らしい娘さんを永田町のみどり荘に連れてくる内藤さん。自分の娘に胸張って、楽しんでもらうゲームを作りたいというを以前耳にしたことがあった。

内藤「娘は多分ゲームをやらないと思うんですよ。でも『お父さんってどんな仕事しているの?』『ゲームを作っているの?』『どんなゲーム?見せて!』って言われた時に、自信を持って見せたいですね。『家族や友人に自信を持って見せられますか?』と聞かれたら、胸を張って“YES!”と言えるゲーム作りを続けたいです。


どんな職業であれ、拘りを持って働いている人はいる。ボードゲームのゲームデザイナーという職業はそう身近にある世界ではないが、内藤さんは自分の作ったゲームを自信を持って世に出すために、自分の言動を貫いている。好きなことをとことん突き詰めることで、彼の人生に「意味あること」が積み重なっていく。

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みどり荘についてどう思いますか?

内藤(永田町の)このお昼ご飯のシステムはすごい強いと思います。強制されている訳でもない、人が自然に集まって、しかも円形のテーブル。勝手に話が膨らんで、他のシェアオフィスはそういうのなくて、普通に行って、一人で働いていただけ。ランチ会もない。ここに来たら、仕事とはちょっと切り離れた空間があるっていうのが、いい。スタッフの雰囲気もすごくいいですよ()


Souya Naito

Game Designer

愛知県出身。2015Hemz Universal Games Co., Ltd. 設立。2018年に永田町みどり荘メンバーに。海外のアナログゲームを翻訳し販売を行なっていたが、現在はゲームをデザインする事に専念している。

https://www.hemzuniversalgames.com


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