COLUMN #92 Ethical Egoism

Topic: ColumnWritten by sayoko kawai
2023/6/9
Ethical Egoism

環境問題のことを考えると、少し憂鬱な気持ちになる。自分の幼少期から明らかに気候が変わっている。「異常気象」が常態化しすぎて、異常が平常、平常がもはや異常な気がする。「地球のためを考えるなら人間なんて結局滅びればいい」と、生物学の先生は言っていた。なかなか過激な発言だけど、「そうだよな」って同意してしまうのは私だけ?

東京生まれ東京育ち、海も川も泳げないことが常識で、夕方になると「夢の島」という名前のついた埋立地からゴミの匂いがする環境で育った私としては、自然の再生といわれてもなにをもって再生としているのか、あまりよくわかってないんだろうなぁって、そんなことを考えたりもする。

この気持ちの矛先を求めて、昨年、デンマークにあるKAOSPILOTというデザインスクールで’Design for Sustainability’という講義を聞いた。講師のミッケルが言っていたのは「何億年という地球史の中で、地球の外に放出された物質はほとんどない。地球の質量自体は変わってない」ということだった。つまり、地球上にあるすべてのものは物質がくっついたり離れたりして存続している、ただそれだけのこと。今の地球はそうした変化の過程にすぎないということだ。「環境破壊」は人間の活動で何かが失われているようなイメージだったけれど、物質自体の変化はとても重要でむしろ変化自体がなくなったときに初めて環境が破壊されたということになるのだ。

かなり平たく言えば、循環をし続けていくことがとても重要ということ。ミッケルは「なにかモノをつくるプロセスがあったときに、細かく廃棄されるものにも目を向けて、それを廃棄ではなくて、何かが生まれたと認識してほしい」と口酸っぱく言っていた。「廃棄物の先の循環を意識すれば必ず地球は存在し続けつづけられる」と彼はにっこり笑顔で講義を締めくくった。

私が育った東京も、昔のようにゴミの匂いはしない。だめなことばかりに目を向けるのではなく、こうしたよい変化を見ることも重要なのかもしれない。「身勝手な倫理観」で勝手にネガティブになっても、循環は進まない。私の生活も、循環をまわすエンジンにしていきたい。

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