COLUMN #245 矜持の居場所

矜持の居場所
お金のために働くことと、働いてお金をもらうこと。
言葉の順序を少し入れ替えただけだが、そのあいだには決定的な断絶があると思う。前者は「お金が目的」であり、後者は「価値の創出が目的」で、お金はその結果として手元に残る対価に過ぎない。
以前、単発バイトでイベント会場の設営をした。求められていたのは人件費を消化するための「要員」としての存在。指示された場所に立ち、ただ時間を潰して労働力を切り売りする。終わりに一万円ほどを受け取ったが、残ったのは自分の時間を紙幣に換えたという冷ややかな感覚だけだった。自分の技術も意志も介在しない、まさに「お金のために働いた」時間だった。
一方で、ある居酒屋での夜を今でも鮮明に覚えている。20時から24時までの4時間、スタッフはわずか2人。満席の店内は熱気と酔気で満ち、客も気を使うほどの怒涛のピークタイムだった。
意識したのは、酔客のテンポを殺さないこと。注文が入った瞬間に素早くグラスを差し出し、場の熱量を自分のスピードでコントロールする。怒涛の時間を終えて、レジを締めたとき、あの店を自分たちの力で回し切ったという確かな手応えがあった。
「手際が良いね」「ありがとう」という言葉と、相棒との完璧な連携。「自分ならこの状況も回せる」という誇りがあった。あの日受け取った給料は、工夫と価値提供に対して支払われた「働いてもらったお金」だった。
ふたつの違いを分けたのは、現場に自分の「プライド」を持ち込めていたかどうかだ。
工夫を挟む余地のない仕事は、人を「時間を潰す機械」に変えてしまう。だが過酷な現場でも、プライドをかけ価値を生む手応えがあれば、労働は一気に表現へと変わる。
ただ時間を切り売りするか。それとも、矜持を持って価値を打ち立てるか。お金は自分のエネルギーを循環させた結果の副産物でありたい。今日も自分の仕事に、確かな矜持を込めているだろうか。
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