COLUMN #244 ゆめみること

私は小さい頃から、お伽話や不思議な話が大好きだった。遺跡探検番組を食い入るように見て、映画のファンタジーを本気で信じ、授業中は資料集の、神話や伝説について書かれた小さなコラムばかり読んでいた。
生まれつき頭の中がお花畑タイプの人間だ。
20代前半まで、これといった将来の夢はなかった。その夢とは社会的に説明できる「何者か」になることだと思っていて、その何者にもなりたいと思えなかった。
紆余曲折の末「ひとまず自分が見たい景色を見るために生きよう」と決めた。
肩書きにこだわらず、今できることをやる。旅に出る。またできることをやる。
その繰り返しがいつの間にか心地よい生き方になっていた。
子供の頃に見た夢を今でも覚えている。
巨大なクレーター、水のない海、訪れたことのないはずの都市。
きっと『世界ふしぎ発見!』的な情報をあまりにも多く取り入れすぎた私が脳内で勝手に作り上げた景色だろう。
そんな夢のような風景を実際に見たくて、私は旅を続けている。
答えを探しに行ったはずが、不思議は増えるばかりだ。
なぜそこにあるのか解明されていない自然現象。誰が何のために残したのかわからない岩絵や遺跡。信じられない環境で咲く植物。そんな歴史や自然に出会うたび、私は「ロマン」という名の元気をもらう。
旅を重ねるうちに、大人になることが少しずつ好きになっていることに気づく。
大人になることの一番素敵なところは、子どもの頃に夢見た景色へ、自分の力でたどり着けることだと思う。
お金を稼ぐこと。
時間をつくること。
友人に恵まれること。
行き先を決めること。
何かをやめること。
そうした一つひとつの選択が、私を新しい景色へ連れて行ってくれる。
「自分にできることをやろう」と始めた様々な仕事の中で、結果的に熱意をもてることにも出会えた。
振り返れば、それも偶然や些細なきっかけの積み重ねだった。
人生は不思議だ。
私が惹かれる景色は、たいてい道のりが長い。だからこそ、自分が元気でいることを大切にして、体力のあるうちに、自分らしく誰かの役に立ちながら、子どもの頃から続く想像力に身体を従わせて生きていきたい。
相変わらず私は一度も就職せず、いくつもの仕事をして暮らしている。
今の自分を取り巻いている環境も、不思議な世界の一部なのだとしたら、少しくらい野生的な直感を信じてもいいのかもしれない。
旅していると、世界のあちこちで、とても澄んだ、かっこいい瞳をもつ人や動物とすれ違う。
私も、あんなふうに世界を見つめて、生きていけたらいいなと思う。
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この写真は、6月末に訪れたカザフスタン・マンギスタウ。約2億年前、古代テチス海の海底だった場所だ。足元には化石が転がっている。
子どもの頃に夢見ていた景色は本当に世界のどこかに存在するのだ。
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